今読むべき、クジラアタマの王様~自分が戦う場所と、ウイルスという見えない敵のこと

 新型コロナで外出自粛要請が出ている今、この本はどんな響き方をするのだろう?核心に迫るネタバレはしないが、これは今読まれるべき本かもしれない、と思う。

 伊坂幸太郎 クジラアタマの王様

 タイトルで「は?」と思うが、この「クジラアタマ」は最後に「え、そうなの!?」という形で伏線が回収される。

 主人公は、製菓会社に勤めているサラリーマン、「岸」。クレーム対応については上司の評価も高い彼だったが、部署が変わり、平穏な日々を過ごすはずだった。ある1本のクレーム電話と、ある日訪ねてきた男、池野内との出会いをきっかけに、岸の人生は変わっていく…という表現が、果たしてあっているのかどうか。

この話で大きくは、「夢での戦い」、「大衆の善と自分の善」、「大衆心理の妙」が読みどころだと思う。


夢での自分の戦いが、現実の自分とリンクする


 自分の人生を切り開くのは紛れもなく自分なのだが、果たして「どこの自分か」。これは1つのテーマだ。

 この話では、「夢の中の自分の戦い」が大きなカギを握っている。話の中心を担う、サラリーマン・岸にせよ、議員・池野内にせよ、アイドル・小沢にせよ、夢の中で戦い、その勝敗が現実にリンクしている(と考えている)。だから、夢の中の自分が勝てば、現実の自分はうまく物事を進められるし、夢の中の自分がまければ、現実の自分にもなんらかのトラブルが起こる。

 これは結局、「どこでがんばるか?」に通じている話だな、と感じる。

すごく小さい話で言うと、例えば仕事でがんばっていたらプライベートもうまくいくとか。いろんな自分がいろんな場面でがんばっていて、そのがんばりがおもいがけないところで、思いがけないものを運び込んでいくような。


だけど、結局どこの自分であれ、目の前のことに対して全力で取り組まなければ、何の道も開けない。どこかの自分への他人任せでは、道は開けない


大衆の善と自分の善を天秤にかけることと、大衆心理を描く妙


 この話の中で、少し前の新型コロナの時のような描写をされている場面がある。発行は2019年7月なので、まったくコロナはリンクしていないのだが。「病気に感染した人」をまるで「犯人探し」のように人々が探し、いたずらに傷つけるところ。それがトラウマとなって、いろんな人生が方向づけれる可能性があること。ここは本当に今とリンクしているから、きっとこれからの日本でも、起こってくるのだろうな、と感じた。

 言わずもがな、新型コロナが世界に与えている影響は大きい。早く鎮静化することを、「新型コロナとの戦い」をどうにか勝利に持ち込むことを、「大衆の善」として多くの人が願い、動いているはずだ。

 でも、もしかしたら。それだけ多くの人がそれを待っているからこそ、自分だけの善―自分が得をするために、多くの人々を苦しめる選択―をすれば、莫大な利益を得る人もいるかもしれない。そんな風に考えて、行動選択の基準を「大衆の善」ではなく「自分の善」にしている人がいたら、本当に怖いな、と感じた。

 まぁ、一時のマスク転売ヤーさんとかは、まさにこの類ですね。


 タイトルとは少しずれるのだけど、この本を読みながら、何が人の人生を動かすかは本当にわからないな、と感じた。

 例えば今、在宅やテレワークなどで仕事を回す人がいて、それで不都合はあれども稼働している現実があれば、新型コロナが落ち着いた後はそういった環境整備が整い、別の働き方が切り開かれるかもしれない。

 センバツ野球が中止になったことで、オリンピックが延期になったことで、今様々な大会が中止になっている。夏の甲子園が中止になったら、3年生の高校球児が受ける影響は、精神的に計り知れないだろうし、プロを目指している球児にとっては、プロ入りへの影響も出ているだろう。

 それは、野球に限らず、サッカーでも、陸上でも、バスケットボールでも…同じことが、今日もどこかで起きている。

 同様に様々な大会が中止になっていて、それぞれの道で頑張ってきた人たちが、大きな影響を受けている。もちろん、それを運営する側にとっても。

 生活レベルにおいても、これだけ大きな影響がある。人の人生が、今日も左右されている。

 だからどうか、この出来事がきっかけで左右された人生の行き先が、いつかはプラスの、前向きなものであってほしい、と、願ってしまう


さて、「大衆心理」の話に戻ろう。

そして、この話は映像映えするアクション系ジャンルだ。


こんな文章がある。

人間を動かすのは、理屈や論理よりも、感情だ。同じ罪を犯した人に対しても、感情が左右すれば、まったく違う罰を平気で与える。理由は後からつける。パニックを起こすのも感情だが、罪を大目に見ようというムードを生み出すのも感情、というわけだ。
 自分にとっての都合の悪いものを、たとえばウイルスにとっての免疫めいたものを、1つずつ排除させ、その免疫がなくなったところを見計らって本性を出し、襲い掛かってくる。そういった目論見を想像することはできた。

  伊坂幸太郎のすごいな、と思うところは、どこかリアルで、どこか現実味がないテイストを上手に溶け合わせて、ハラハラさせる展開に巻き込んでいくところだと思う。

 現実味を生んでいるのは、主人公たちを取り巻いていく「大衆心理の動き」のリアリティではないだろうか。

 伊坂幸太郎作品の中での位置づけとしては、「火星に住むつもりかい?」がかなり近い。

 こちらも「平和警察」「ヒーロー」など、どこか現実味がなく、でも近い将来現実でありそうな小説。

 ゴールデンスランバーは、「火星に住むつもりかい?」「クジラアタマの王様」と比べると、現実味がある気がする。

 真実や信念を持つ人々が追い込むのは、いつだって「大衆」。そんな気なくコントロールされて、そんな気なく人々を追い詰める「大衆」。その使い方が、絶妙だなぁ、と心から思う。

 

ズレた人たちのあたたかな心

 そんな、コントロールされた「大衆」から主人公たちに手を差し伸べるのは、伊坂幸太郎作品では、いつだってちょっと変な人たちだ。特に、池野内議員の妻は、まさに「伊坂幸太郎アクション系作品の女」という感じがする。

 女優で言うなら竹内結子。(完全にゴールデンスランバーとかスキャンダル専門弁護士QUEENのイメージ)もしくは貫地谷しほり。


貫地谷しほりと竹内結子


竹内結子


癖が強くて、「いや、ありえんだろう」という型破りなことをしても悪びれない強さとあっけらかんとした強さがある。

 自分の目で見て、自分の信念で動く人は、癖があって味があって強い。そして、あたたかい。


アクション系映像映えエンターテイメント小説。

いろんな意味で、今読んでほしい小説 NO.1

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