隣の芝生ってほら、やっぱり青く見えるけど、自分の芝の青さをに目を向けていこう
人のいいところやできているところにばかり目がいって「自分なんか」に陥って、諸先輩方の「かくあるべき」に一生懸命ハマろうとしてきた自分を、がんばったね、と褒めてあげたい。
隣の芝は、いつだって青い。諸先輩方のアドバイスは、フィードバックをほぼ受けない30代という年齢にあっては、ありがたい。多分それは経験に基づく統計知だと思うから。
だけど、こんなに価値観が変わり続ける今、その統計知に必死にハマりにいくことは、すごくもったいないとふと感じた。
向き合うべきは目の前の相手で、時代の流れを読めるくらい俯瞰的に物を見ること。
細かいこと事象を抽象化しながら、「この先どうなるか」「何が必要か」を考えること。
鷹の目と蟻の目を行ったり来たりできるようになること。
そして自分が大事にしたいことをぶれずに持つこと。
時々、自分が大事にしたいことさえ、「その先のステップにいかなければいけない」と諭されることがある。それを「そうなのか」と言葉のまま受け取ってしまう。思考停止したくないのに思考停止に陥るのは本意じゃない。
いろいろな価値観を、消化不良になるくらい頭に詰め込みながら、「あれもしたい、これもしたい」と気持ちだけが急いて、体がついていかなくて、ゆったり行こうとする気持ちと走りたい気持ちに振り回される。
愛おしいね。公園でこける5歳児みたいで。
初めての人生だもの。
いいよね、そんなわたしたちだって。えらいえらい。
うらやむのだって、成長したい自分の現れ。
私が私としてがんばり続ける、そこに自然とにじむ私の持ち味が、絶対にある。
それは私の芝の青さ。隣から青く見える、私の芝の青さ。
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