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そのnote、なんのために書いてるの?

 三日坊主の私が、毎日noteを書き続けること、はや2週間。無事習慣化できたように思うが、これはひとえに愛するsurfaceと、「文章を書く」ことを諦められない性分に由来する。

 昔から、文章を書くことは好きだった。それを仕事にしたいと思い、就職活動をした時期もあった。それでもどこかで「そんなに甘い世界ではない」と諦めていた。

 就職をして、私は手段として文章を書くようになった。こだわった結果、時期を逸してボツになったものがある一方、とにかくタイミング重視で一気に書いて伝えたものもあった。結局、私は「文章を書く」ことを諦められないらしい。だからこのnoteを書きながら、どこかで「これを仕事にできたら」と思う自分が、いるのかもしれない。

 そして、世の中には、「書き手になる人」「ならない人」「なれない人」がいる。

 発信を是とする昨今、noteの世界でも、twitterの世界でも、「まずは毎日書くこと」と言われる。そうすればPVは上がってくるし、力はついてくる、と。そんな言葉を鵜呑みにして、「まずは書く」とnoteを書く。


 きっと力がついている、と信じて。だけど、そんなこと、あるもんか。


 なぜnoteをやっているのか。

ブロガーとなりアフィリエイトで稼ぎたいのか?

集客力をつけ、有料noteで稼げるようになりたいのか?

表現力をつけ、小説を発表して小説家になりたいのか?

ただ、日記として自己表現をしたいのか?

 それによって、試行錯誤は変わってくる。目標設定があってこそ、力はついてくる。

文章を書いて原稿料をもらうプロになるために必要な条件はおそらくたったひとつでそれは、文章を書いて原稿料をもらう人になる、と決めることだと思う。言葉遊びをしているわけじゃなくて、これって「決め」の問題だと思うんです。
作家や小説家はまた別の才能が必要だと思うのだけれど、ライターという職業であれば、特殊な才能はいらない。
ただ、どんな状態でも常に「書き続け」なくてはいけないし、「書き終わら」なくてはいけない。多分、ここが、プロの書き手かどうかの境目だと思う。


 「プロのライターになる」と決めれば、それを意識して書くようになる。

どれだけかっこ悪くても、血反吐を吐きそうになっても、かっこ悪くても、プロのライターになるためなら、多分やる。

 「プロになれたらいいな」と思っている間は、自分の好きなことを好きなままに書き散らして好きな頻度で書ける。かっこ悪くなりたくなかったら、かっこ悪いことはしない。

 

書くことをあきらめたくない私は、何を目指してnoteを書いているのだろう。

自由な自己表現として?アフィリで稼ぐ手段として?

文章力をあげるトレーニングとして?日記では、ない。

「なりたいと思ってる。いつかきっと…」そんな王子様を待つお姫様マインドの自己満足のオナニーでも、自分がそれでいいならいいのだろうけど…。(その気は、情けないけどとてもある)


私は、文章を、noteを、自分の「資産」にしたい。

「とにかく毎日書く!」noteは今日まで。

「毎日書く」の次のステップへ。


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