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過保護な母

こんばんは。おじぎです𓅸

今日はわたしのことを誰よりもそばで、日々愛情を注いでくれている母についてのお話しです。

ちょっと悪口みたいな内容になってしまう部分もあるので、気分を悪くしてしまったらごめんなさい。


タイトル通り、うちの母はとっても過保護です。

簡単なところでいうと、24歳になった今でも門限が21時だったりします。

過保護というのは、子ども愛し、子どもの為を思うがゆえに、心配になり過ぎたり、干渉しすぎたりしてしまうような状態なのかなと思います。(間違っていたらごめんなさい。)

私にはまだ子供がいないので、我が子がどれだけかわいくて、どれだけ心配になってしまうのか、母の気持ちを分かりきることはできません。

それでも、過保護すぎる母のもとで育った私は、過保護な親には絶対になりたくないと思ってしまいます。


過保護な母の一番嫌だったエピソードが、中学生の頃の部活を自分で決めさせてくれなかったことです。

当時の私はテニス部と美術部どちらに所属するか迷っていました。

母は最初から美術部に入ってほしいようでしたが、私は期限のギリギリまで悩んで、テニス部に入ろうと決意し、母に報告しました。

運動は苦手だったし、どちらかというと嫌いな方だったけれど、体験入部をしてみて、チャレンジしてみたいという気持ちになりました。

しかし、その結果、私はなぜか怒られます。

あなたにはできない、向いてない、絶対に後悔する。

そして最終的に、「テニス部入ったら土日も学校に行かなければならないのよ。そしたらもう家族でお出かけ出来ないわね。家族の時間が無くなるわね。」と言われてしまいました。

今考えてもめちゃくちゃな言い分ですが、私は怒られたこと、家族のことを考えられない人間と思われてしまったことに参ってしまい、結局テニス部をあきらめ、美術部に所属することにしました。

意思が弱いと思われるかもしれませんが、そういう選択をしてしまったのが当時の私であり、今もそう変わりません。

確かに母の言っていたことは合っていたのかもしれません。

もしテニス部に所属していたら、私は後悔していたかもしれないし、今までずっと私という人間を誰よりも近くで見ていたからこその意見だったのかもしれません。

それでも、私にとっては、自分の気持ちを否定されて母の言うとおりにしなければいけないのか、母の望む道に進まなければこんなに怒られてしまうのかと感じてしまった瞬間で、すごく嫌な記憶です。

それが原因かは分かりませんが、私は大人になった今でも自分の気持ちを母に伝えることが苦手です。

母の意に逆らえば、頭ごなしに怒られる。

そう考えると、何も言えないし、何も言いたくありません。

もっと自由に生きたい、言いたいことを言えるようになりたいと思う毎日です。


母親からたくさんの愛情を受け取ることができるというのはとても幸せなことだと思います。

子どもの頃に、お小遣いをもらいながらもお菓子や漫画、洋服を買ってもらえていたこと。

毎日おいしいご飯をつくってもらえること。

感謝することは沢山あります。

自分が当たり前だと思っていたことが、他の子の話を聞くと、当たり前じゃないと気づき、私はたくさん優しい世界で、守られて生きてきたんだなと思います。

でも、優遇されすぎて、1人で何もできない人間になるのは怖いし、今の自分の気持ちを我が子に味わってほしくないなと感じてしまいます。

言いたいことは何でも言えるような環境にしたいし、やりたいことをやってほしい。

だから私は過保護な親になりません。

…と言いつつも、私は結構な依存体質なので、実際どうなってしまうかは分かりませんが。


母のことは、好きなところもあれば、嫌いなところもあります。

大人になった今、自分の性格や考え方を変えることは簡単ではないけれど、自分の意見を相手にちゃんと伝えられるような、自立した人間になりたいと思っています。

母のことを嫌いだと恨むばかりではなく、自分が成長して変わることが何よりも大切なことだと思います。


まずは、今年中に「旅行に行きたい!」と言えるようになりたい!

お恥ずかしながら、そんなことも言えない私です。

簡単なことだと多くの人は感じるかもしれませんが、その簡単なことをできるようにする。

それが私と母の関係をよりよくする、第一歩かなと思います𖧷


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