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⑭決めたのは自分

この数年間はあっという間だった。
仕事、結婚、出産、子育て、引っ越し。
お腹に赤ちゃんがいながら仕事する。
小さな子供が居ても家のことして仕事もする。
手伝ってくれる人は誰も居ない。
体調も環境も色んな事が初めてで困っても誰も代わってくれやしないから
どんな状況だとしても全部自分でするのが当たり前になって行く。
それって当たり前なのかな?何が当たり前なのかも分からない。
でも、それを決めたのは自分だからしょうがないと思ってた。

東京から地元へ帰り、とりあえず実家に戻ったものの荷物を片付けるのもそこそこに、まずは仕事を探しました。
本当は一人暮らしがしたかったのですが、引っ越し等でスッカリお金も無かったし、田舎では車が無いと不便なので教習所にも通わなきゃだし。
と、言う事でお金が溜まるまで・・・くらいのつもりの実家暮らしでした。
ちょうど市役所に勤めていた友人が、臨時職員の募集が出てると教えてくれたので応募したら採用が決まり、次の週からすぐに働きはじめました。
市役所内の仕事なので定時で帰宅できるし、夜には教習所へ通えたので、ちょうど良かったんですよね。
3ヶ月が過ぎた頃、地元の設計事務所で事務員サンの欠員が出たらしく、声をかけてもらいました。
少しでも東京でしていた仕事の経験を生かして働ける事もあり、即決。
基本的には事務職でも、建築士さんが数人いるだけの小さな事務所だったので図面作成のお手伝いや、内装のコーディネート、新築物件のパース(完成予想図)なども書かせてもらえるので、ゆくゆくは建築士やインテリアの資格も取って続けるつもりでした。
仕事も楽しく出来るようになって、週末には地元に残ってた友人達と遊びに出かけたり、田舎は田舎なりに楽しく過ごしていました。
しばらくして、車の免許が取れて購入した車がフォルクスワーゲンだったので、ワーゲン好きの人達が集まって皆んなで遠出したり、飲み会したり、その仲間が開いたパーティーに友人と参加しました。
そこで一緒になった3歳年上の人と付き合う事になり・・・そのまま結婚へと話しが進みました。
私が中・高校生の頃、バンドをしていた友人達が出ていたライブに良く出演してたバンドの人だったので顔と名前は知ってた事や、地元で呉服屋をしていたお店の一人息子で、同じ高校の出身だったり、向こうは高校卒業後に修行に行った大阪から、私は東京から、どちらも地元へ戻ったりで話しも合ったし、父親同士が知り合いだった事や先方の両親が年配だった事もあり、トントン拍子に話しが決まって1年後には結婚する事になりました。
勤めていた設計事務所で資格取得を目指してた仕事は続けたかったけど、お店を継いでやって行く以上、嫁としてやって行かなきゃダメってことで退職し、お店で一緒に働く事になりました。
結婚して半年後、義父の肝臓癌が発覚。
本人は、随分前から自覚症状があったらしいのですが、頑なに病院へは行かなかったそうで、跡取り息子が無事に結婚したことで代を譲り安心して病院へ行く事になったものの、その時は既にステージ4、手術も出来ないほどの状態になっていました。
それから更に半年後、ちょうど私は妊娠が分かりツワリが酷くてお店を休んで寝込んでましたが妊娠4ヶ月になった時に義父が他界しました。
そうなると「ツワリで・・」とも言ってられず、吐き気を抑えながら葬儀に出て、お参りの方や親戚のご挨拶、義母が1人になって大変だからと義母の家に泊まり込み家事を手伝ったり・・家とはいえ店舗兼自宅だったので、結局はお店の事もしてたんですけど。
1番キツかったのは仕事よりも毎朝の朝食と仏様にお供えする「ご飯」の準備で、朝は特に体調が悪くて吐きながら用意してましたね〜。
それと7日ごとにあるお参りに作る三角の「お団子」作り。
あの匂いもダメで目眩がするほどで・・何回目かの時にフラフラしながらお団子を作りながら洗い物をしているとグラスを割ってしまいザックリ指を切ったのですが「お団子が出来ないと困るから」と、絆創膏とゴム製の指サックを渡されて血塗れになりながらお団子を丸めては吐いていたくらいでした。
実は、義母は元々「お手伝いさん」が居た家の育ちで家事が全然出来ない人だったんです。
それでも四十九日が終わる頃にはツワリもほぼ治って来たので、それからは出産の数日前までお店に出てました。
年が明けて3月、長男を出産。
息子が1歳になるまでは、お店には忙しい催し物の時に手伝いに行くぐらいで、ほぼ自宅で子育て出来ましたが、その後は長男を連れて毎日出勤してました。
お店には、夫が生まれる前から勤めていたオバサン達や裁縫部の先生達が居て、小さい子は皆んな喜んで可愛がってくれたし、問屋さんや、お店の常連さんなどにも可愛がってもらいましたが、お昼寝やご飯などの事もあって1歳児を連れて毎日仕事に通うのは中々大変でした。
長男が2歳になる少し前に2人目を妊娠。
ちょうどその頃、義母と一緒に暮らすため、お店と家を改築し半年後に引っ越し。
案の定2人目もツワリがひどくて、実家の母に長男をみてもらったりもしましたが、引っ越しする頃にはそれも治り自宅とお店が一緒になったので出ないワケにも行かず、お腹が大きくなっても長男を連れて出産の当日まで、お店に出てました。
次男は予定日よりも3週間ほど早く産まれたもので・・・その当日もお店に居たんですよね。
お店が終わって、いつも通りご飯支度や家の事をしてたのですが・・夜になってから、お腹が痛くなりその数時間後には産まれてました。
寒い冬の2月の事でした。
その日は雪が降っていたので、雪かきしたり お店前の氷割りなど外仕事をしたんですよね・・
それが直接の原因ではないとしても、お店には臨月に入った大きなお腹で雪の中の作業をしていても代わってくれる人も、中に入って良いと言う人も居なかったので。
次男が生まれてから日が明けるまでは実家に居て長男をみてもらう事も出来ましたが、その後は家に戻り2人の子供の面倒をみながら家の事もしなきゃダメで毎日バタバタ。次男の首が座る頃には新生児用の抱っこ紐でおんぶや抱っこしながら、長男を連れてお店にも出てました。
その頃はまだ、父親が家事や育児を手伝うなんてあまり聞いたことが無かったし、夫は商店街や青年会議所、日専連などの会合と趣味のバンドも続けてたので家にいる事も少なく、何でも1人でするのが当たり前になってました。
そんな生活をしながらも、子供達は無事に成長して幼稚園に通うようになった頃・・・夫の行動に少しづつ違和感を感じるようになって来ました。
元々、家に居る事は少なかったものの朝起きる時間になっても帰宅して無い。
子供達のお弁当を作っている頃に朝帰り。
お店の営業中にも、どこへ行ったやら?ずっと出かけていて夕方になって戻って来る事もしばしば。
ある日、買い物へ出た時に偶然通りがかったアパートの前に車が停まっているのを見つけました。そこは商店街の催し物で一緒になった女の子が住んでいる部屋だったらしく、よく出入りしていたらしいです。
それからも車が停まっている事がしょっ中あったので、それを問いただした事から喧嘩になり、あまりに腹が立ったので子供達を連れて実家へ家出しました。
家出して3日後。
夫と義母が一緒に実家へ来て「帰って来るように」と説得され、実家の父にも戻るように言われ、仕方なく戻る事になりましたが・・・家に着いて車から降りると子供達を連れて振り向きもせずにサッサと家に入って行く4人の様子を大きな荷物を全部1人で持ちながら後ろで眺めて、何だか悲しくなって涙が出ました。
「あの2人は子供達だけ居れば良いんだな。」と、その時分かった気がしました。

ちょうど、そんな事があった頃から少しづつ、お店の経営状態も悪くなって行ったのでした・・・。

〜つづく〜


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