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小学生の写真から届けられた大切なもの。

ずっと見て見ぬふりしてた写真の整理を始めた。
息子の小学生からためた手付かずのもの。

パソコンが苦手と遠ざけてたものを
年賀状やめその時間を充てようと開けてみた。



懐かしいを通り越し忘れてたのが蘇ってくる。

色んな表情の
色んなことをしている息子が映っている。

アレができないコレもできないと思っていた時間は、私は何を見てたんだろうと思わされた。


そんな自分を責めたいんではなく
当時は息子そのものより、
息子の周りにくっ付いてるもの。

宿題だったり準備だったり時間をよむとか
そういうまわりにあるものが多すぎて
埋め尽くされ見えなかったんだなと。

学校生活を送る上で当たり前についてきて
大切なものではあるけれど、
『それら越しに息子を見てた』と
映像で色んな遊びをしてる息子が伝えてくれた。


時間があったのが整理のきっかけでしたが
これまで見ようと思えなく手をつけなかった。

運動会ではラジオ体操やダンスをしなく
立ったままの姿を『出るのを頑張った』と
毎年思うようにして。

自分にもっと頑張れとしてたから
息子に頑張ってほしいと何処かで思ってた。
それは思わないように
頑張っているのを探していた。

映像の自分からは楽しそうな声がするから
見に行くのは辛いのとはまた違い
それは『諦め』という
やりやすい方法を使っていた。



今見ると
息子の表情は何を考えてたんだろう。

運動会も学習発表会も圧倒された表情で
どこを見て何をして
それを考える以前のフワーとした表情。

当時肉眼で思った息子と違って見えた。
見えてこなかったものが見えてきた。


『出るのを頑張った』と思ってたのが
『どうすればいいか分からなかったんだ』

どちらも想像ではありますが
『分からなかったんだな』と見えると
愛おしさがぶわっと湧き上がってきた。


学校に通ってるとき
頑張っているのを探そうとしてて
それは同時に出来てないのも浮き上がってくる。

そうとは知らず続けてて、
それが悪い訳ではないけど
自分はしんどかったなと。

これからも頑張っているのを探すでしょう。
そして、コレが出来てほしいも。

その合間に
『息子可愛いな』と思う自分がいるのが
とてつもなく大事で
これまで持てなかったのはそれでした。

不安で何かを探しそうになったら
『可愛いと思える自分』が助けてくれる。

小学生の息子から届いたのでした。


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