【編集後記】バイオデザインへの道のり。八木先生のストーリーについて。


みなさんこんにちは。
先日MAGAZINEにあげた八木先生のインタビュー記事はご覧になりましたか⁇

まだの方はぜひ読んでみてくださいね(^^)
👉WEBマガジン(八木先生のインタビュー記事)はこちら

今回のインタビュー、先生が分かり易く紐解いてお話してくださいました。医療機器の産業を見る目が180度変わる。そんな記事です。


本編の方はどちらかというと解説に近い内容になっています。

(インタビューしながら)「八木先生の人柄がなかなか伝わらないかもなぁ…」と思っていたら、先生の方から「一応、個人のストーリーについてもお話させて頂きます(笑)」と言ってくださいました。
第一印象が少し硬派なのですが、実際はとても明るく柔らかい雰囲気の方です。


こちらでは、MAGAZINEには載せなかった八木先生ご自身のストーリーについて、原文のままご紹介したいと思います。


「高校時代はもともと医学部志望でした。しかし、WHOや国連の活動を見ていて思ったことがありました。医師は非常に素晴らしい職業だけれども、救えるのは目の前の患者さんだな、と。エンジニアとして社会インフラを改善すれば、大勢の人を救えるのではないかと思いました。そうして、工学部に志望を変えました。修士課程や博士課程は歯学部の先生と共同研究を行い、レントゲンの自動解析システムの研究などをしておりました。そして、そこで取得した特許をもとに立ち上がったスタートアップに非常勤の技術顧問として関わりました。」
「そのスタートアップのボードメンバーには、その歯科分野の教授がいらっしゃいました。その当時の私は、「その分野の教授が言うんだからニーズはあるだろ。」と思っていましたが、ローンチしてみると、その人とその周辺の人にしか売れないという、典型的な失敗をやってしまったわけです。その時から「ニーズって何なんだ…」と思いながらずっとモヤモヤしていました。」


…八木先生がバイオデザインについて話していたことは、ご自身の失敗談から来ていたのか、と合点。

「そこでニーズ発で医療機器開発をするというバイオデザインの話を聞いた後、色々な人に行きたいと話していました。私はFirst Candidateではなく、ボスが何人かに声をかけたうち最後に残ったのではないか、と思うのですが、突然ボスから電話がかかって来て「関心ある?」と言われました。即答しました。スタンフォード大学で6か月間のトレーニングを受けにいかなくてはならないのですが、行く日が決まったのは3日前でした。3日で自分のプロジェクト、その他を整理して、準備して。旅費が出るのかどうかも分からないまま、とりあえず、数日泊まれる安宿を予約して米国に向かいました。」

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「現地では、どちらかというと先進国における医療機器開発を学んだのですが、その後、いろいろとプロジェクトを推進していく中で、「国境なき医師団」と連携する機会を得て、その現場の課題解決に携わらせて頂いたりしました。高校時代にやりたかった最初の夢に、「帰ってきたな」と思いました。バイオデザインは、市場性のある先進国でのビジネス実装にフォーカスすることが多いです。そうは言っても、大きな市場はないけれども苦しんでおられる患者さんはたくさんいらっしゃいます。しかし、市場性のない所には、みんななかなか入りづらいわけです。色々な施策も取られたりしているがなかなか難しい。今は、例えば先進国でなくても、例えば医療機器の範疇でなくても、市場が小さくても、苦しんでいる患者さんが持つペインをなくせるように、サステナブルなモデルをなんとか作ることはできないかな、と思っています。私自身の個人的な想いとして。非常にハードルは高いですし、なかなか上手く行っていないですが。難しいことをやる方が面白いし学びになると思って。(笑)」


第一線で活躍される方々は専門性に優れていたり、感性も豊かな方が多いと思います。しかし、一番は「誰のため」という目的意識。そして目的への情熱であることを改めて感じました。

想いだけでは何も成し遂げられませんが、想いが情熱に変わり、果敢に挑戦するための勇気と智慧が湧き出るのではないでしょうか。

素晴らしいお話をして下さった八木先生、ありがとうございました!

HCD-HUBのMAGAZINE取材では引き続きヘルスケアを牽引する人々のストーリーを追って行きたいと思います。ぜひチェックしてみてください(^^♪