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my story②
おはようございます。
自分の過去と向き合うと言う事は以外としんどいですね。
小学校に入学する前までは①の通り。
大好きだった母方祖母と文中には出していないけど幼稚園の頃に亡くなった父方の祖父。
この2人のおかげで書きながら自分でも「えっ…」と思う幼児期も実はにこにこ過ごしてました。
今でもこの2人が守ってくれていると心のどこかで思っています。
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小学校に入学してからは、あれがしたい!これがしたい!なんてやはり出てきますよね。
「お前には無理!」
この一言で終わり。何かやりたいと言えば常にこれ。
今、思えば自己肯定感も駄々下がりですよね。
同級生のお母さんが教室を開いているからと、ピアノ教室に入れられたけどピアノが好きになったのでこれはこれで良かったです。
ピアノは大好きになりいつも弾いてました。
「ピアノの先生になりたい!」
なんて夢を語ればピアノの先生は
「なれるよ!一緒に頑張ろう!お母さんに話してあげるから!」
なんて背中を押してくれたけど、母はお決まりの言葉で終了。
看護師になりたいと言っても。
女優になりたいなんて夢見ても。
すべて「お前には無理」時には罵られたり人格否定されたりと一度でも何かを認めてくれた事はありません。
それでも外面100%の父母は参観や運動会ではいい顔するんですよね。
入退院を繰り返すので担当医から勧められたスイミングにも通ってましたが、したいと言うより仕方なく…
兄姉はしたいと言えばさせて貰えてたからただ単純に羨ましかったです。
そして小学生になると共に父母からの暴力も酷くなります。
と言うより記憶がはっきり残っていると言いますか…
顔を腫らして学校に行くと
「それどしたん笑笑」
なんて揶揄われるのが嫌で「絶対にバレないようにしなきゃ」とどんどん心を閉ざしていくのですが、アザを作っていったり朝食抜きで学校に行っては炎天下に耐えられず倒れたりと何やかんやありました。
自宅に先生が話に来た事もありますが、登校時間になってもいつも寝ていて朝食を用意した事もないのにいい顔する母に小学生ながら軽蔑の目を向けていました。
きっと「あの家は…」と言われていたかもしれませんよね。
家事をしないと殴られ、頭が悪いと殴られ、酒に酔うと殴られ、私の小中と言えば本当に常にこんな状態で、外面のいい両親、我関せずの兄姉、祖父母が恋しくて泣いた事もあります。
父の友人や親戚が養子にしようとしてくれていたのも知っています。
母が「お前はもうすぐ貰われていく。清々する」と言っていたから。
通常の感覚があれば子供に言いませんよね。そんな親です。
それでもあの家に居たのは兄が「ダメだ!」と言い張ったからだと母が言っていました。
我関せずかと思えばそうでもなかったのね。
とは言え年が離れていたので裏で庇ってくれていたのかもしれない兄も進学で家を出てしまいました。
そんな小中時代。
「大丈夫だよ」
って誰かが言うんです。
名前もあり、殴られているといつも変わってくれたあの子。
あの子が身代わりになってくれたから、今の私は何気にあっけらかんと笑って過ごしているんだと思います。
いつの間にかいなくなっちゃったけど、いつも代わりになってくれたあの子にはありがとうしかない。
私の小中と言えばこんな中々ハードな生活でした。
振り返ると今までどこか他人事と言いますか、客観的に見ている部分があったのもあの子が身代わりになってくれていたから。
自分の事として感じていなかったのかもしれないと気づきました。
長くなってますが続きはまた…
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