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はっとしたこと

先日、高校の時の同級生に会った。

会うのは実に2年ぶり。

コロナ禍で会えなかったわけではなく、環境が変わりあんなに毎日会っていたのに簡単には会えなくなってしまったから。

その2年前に会った時の前は5、6年は会ってなかったかもしれない。
なんとなくお互いポイントで連絡し近況をざっくり話す程度だったが
そこは心通じた相手
何年会っていなくても相手を思う心や人を思いやる性格は全く変わっていなくて
日用品を買い物しながら話をしてラーメンを食べるという
あの頃のような会い方をしてきた。

私が、カウンセラーの資格をとって開業したんだよと報告すると

え!凄い!
本当に嬉しい!!!

と無条件で喜んでくれたのだ。
途中お茶をしながら落ち着いて色々話していると

私はまゆ(私です)がカウンセリングで食べていけるかどうかはどうでもいい。
本当に昔からなりたがっていたカウンセラーになった事が嬉しいのよ。

その言葉を聞いて
あぁそうだった。この人はそういう人だ。

この日に会ったのは彼女がここ1年の間に色々な事が沢山ありすぎて少し疲れていたことが理由だったが
結果彼女は少しごちゃごちゃと気持ちがこんがらがっていただけでとても健康で高校生の時毎日会っていたあの頃と全く変わることなくそこにいた。

自分が信じて行動した事をこんなに丸っと受け止めてくれる相手がいた事を
少しの間忘れていた事にまず驚いたし
何年経ってもそのままその時の状態を受け入れてくれる人がいるという事を心からありがたいと思いつつ
私が誰かのそうでありたいと
もっと頑張らないとなと強烈に思った。

私は今まで長い年月会わなかった人が
変わってしまったなという印象を持つことがほぼないのだが
これほど全く変わらずに愛情あふれる人のままいてくれたことが本当に嬉しかったし
なぜか私の自信に繋がった。

おそらく私の人付き合いを肯定されたような気持ちになったのだと思う。
ただそこに彼女がいただけなのだが。
彼女は私のように分析癖のある人ではないので理屈抜きでただ本当に心からそう思ってくれているのだと思うけれど。

人と支え合い生きるということ
よく聞く言葉だし都合よく聞こえる言葉だけれど
自分は誰かに許してもらいながら生きていて
自分のことも許しながら生きている。

10代の頃から話していた夢を叶えたのはもちろん嬉しかったし
行動した自分にもよくやったと思えるけれど
自分以外の人がそれを覚えていて叶えた私に言ったということで
あぁやはり人はひとりで生きていないんだなと実感した出来事。

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