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2021年、やめる決心をしたこと。

明けましておめでとうございます。台湾台北市より、まゆーです。

11月に文章でのnote再トライ投稿をして以降、気づけば下書きばかりを並べる日々が続き、12月はとうとう投稿0に。

noteに昨年3月から投稿し続けている感謝日記、日々のTwitterへの投稿など、文字数制限がある中での投稿には、少しずつ慣れてきましたが、
制限のないブログ風投稿の場やInstagramなどは、まだまだ慣れません。。
(Instagram、11年前からのプライベート中心、台湾日常系、旅系、とアカウント3つもあるのにどれも頓挫中。今年時間できる予定なので一つ復活させたい・・・!)

この年末年始も有給休暇を合わせ、しっかり5日間お休み頂戴したにもかかわらず、あっという間に最終日。
明日からまた、台湾移住後ずっと続く突風の如く時間が流れる生活が再開(台湾は通常、明日から新年出社開始です)。
その前に、完全にnoteトライが流れてしまう前に、何か小さな足跡だけでも自分の言葉で残したく、一筆投稿させてもらいます。
*綺麗にまとめる、ところまで頑張るとまた投稿完了に辿り着かなくなるので、読みにくくなる文章であること、予めご留意の上お付き合いいただけると幸いです。


***


2021年年末、決心したこと。

「面白くない」「つまらない」を手放す。捨てる。やめる。


これまでの生活、自分の決してまだ長くはない人生の中で、数少なくはあるが好転する方向に動いた時間・きっかけは大方、
「面白い」ことに遭遇、あるいは自ら選んでいた時。

・13歳、お世話になった市民自動合唱団で選考に受かり子役で参加したミュージカル『ヘンゼルとグレーテル』の舞台。中学生の時に未知だった世界で大人の方が楽しそうに全力出して活躍されてるのを初めて見て、自分の知らない世界があること、そして自分を表現することの気持ちよさを知った。

・20歳、交通事故で右大腿骨を骨折した時に、入院先の病院で関わる人たちが面白かったから、元々予定していた初めての海外留学がキャンセルになったことよりも大きな思い出となり、新しい世界を見せてもらった印象的な経験として残っている(病院近くにあった中央競馬のトレーニングセンターに所属する騎手の方がたくさん入院されていて、彼らの日常を聴きながら一緒にリハビリを楽しめた+お世話になった担当者さんから理学療法士という、人の少し先の未来を直接的に目と心で見せ、明るくする仕事がこの世に存在することを知った時の感動・喜び)。

・24歳、友人が誘ってくれた『サントリー10,000人の第九』。
10,000人の全国各地から集まった合唱隊 x ゲストの方々 x オーケストラ x 佐渡裕先生、が大阪城ホールのでっかい一つ屋根の下に集った時に生まれた人の活気、美しい笑顔、自ずと涙を流しながら歌った旋律、あの場にいなければ出逢えなかった年代違い・別世界で活躍する友人。練習〜本番まで通ったからこそ知れた梅田・心斎橋以外の大阪という街の表情。新たな世界を教えてもらった経験。

・25歳〜29歳、新卒で入庫した金融機関退職&ワーキングホリデーでのオーストラリア渡豪から始まった海外暮らし&旅との関わり。
退職前年のゴールドコースト弾丸旅で出逢った同い年でワーホリ滞在されていたツアーガイドさんからワーホリという生き方を教えてもらった時の衝撃。
生きてきた前提・ベースの価値観が異なる世界からやってきた友人たち。
日本人以外の人たちを頼りながら自分の足を動かした結果見つかった仕事(&日本語で得られる情報・価値観の狭さの痛感)。
日本人であっても全く日本人っぽくない生き方をして良いことを教えてくれた旅の師匠とのわけわからないことだらけの2ヶ月旅。
世界各地で会った人たちから学んだ多様な生き方、元々の生活圏・京都でも暮らし方を変えれば異なる世界を見れることを知ったシェアハウス生活。
20代の間に何かの形で経験しておきたかったボランティア - タイミングが重なり参加させてもらった熊本地震災害ボランティア先での出会いと学びから広がった価値観・人とのつながり。
セカンドワーホリで再び戻ったオーストラリアにやってきた日本の小学生スタディツアー団体同行の仕事で出逢った先生方の仕事の向き合い方に感動した時間(仕事している人をはじめて格好いい、同じ時間を過ごせて嬉しいと思えた貴重な体験)。
いつも自信持って何事も進めていき、今となってはオーストラリア永住権取得&現地公務員職にもたどり着いた、現地でベッドシェア生活し今のパートナーとのキューピットにもなってくれた尊敬する台湾人友人との出逢い。

・29歳〜30歳、日本に戻り言語交換会で参加したMeetupがきっかけでお世話になった武家屋敷のマネージメントの仕事。その場に集まってくる京都界隈の伝統工芸・文化・インバウンド案内のプロの方々から教えてもらった新しい世界。一人一人が各々の仕事に楽しそうにしながら向き合われているのを、その現場では脇役ながら携わらせてもらった貴重な体験。いろんな個性と特長を持つ人々が集まる場だからこそ生まれる日常の活発さと新たな物語。派手な能力を持つ方々と比べると地味な立場ながら、"場を整える"仕事を通じて気づけばその面白い能力の持ち主たちを繋げ新たな活動を生むきっかけを提供できていた喜び体験。時給1,000円で仕事していたとは思えない、たった7ヶ月の間に3年分は楽しみ学べたボリュームある日々。
並行して参加した有料セミナーをきっかけに出会った「コーチング」。コーチからの”アドバイス”ではなく受けている方自身から答えを引き出し次につなげる技術に魅力を感じた日々。出会ってすぐの方とも急激に近い関係に持っていくこともできることを知ったこと。
初めはパートナーに頼らず自活し現地暮らしできる余地はあるのか知りたく、中国語能力皆無のまま日常会話に毛が生えた程度の英語能力&日本語ネイティブだけを武器に、観光ビザで飛び込んだ台北。オーストラリアと同様足を動かし飛び込み当たる数を増やせば、何かしら次のきっかけは開けることを再度認知した現地就職。


今ぱっと思い出せるだけの「面白かった」大切な記憶・経験たち。
決して一つの仕事でキャリアを積み上げる、などといった分かりやすく信頼を得られるような活動は多く無く、私的なものに収まるものが多くはあるが、
このように、台湾暮らしを開始するまでは、途中多少紆余屈折もありつつも、「面白い」と思ったものを追いかけることで個人的な感覚ではそれなりに喜びを持って積み上げてきたものがあった。


ところがどっこい、現職に就いて以降、突然何も積み上がら無い感覚に苛まれるようになってしまったのだ。
時間だけが颯爽どころか、光のような速さで過ぎ去り加齢だけが進行する日々。まるで台北に来た2018年以降、年の変わり目も十分に実感できないままずっと停滞した空気の中に留まってしまっている感覚。

おまけに現職就職後1ヶ月経過時点で、既に悩みの種となっていた「面白くない」という強い感覚。
就職当時はWEB広告運用、アドテクノロジーという未経験業界への挑戦ではあったので、できることをある程度増やし、自分が触っていることを理解できるようになるまではただ取り組むのみ、全く新しいことやるんだから悩むのは当たり前、諦めず頑張っていればまた「面白い」がやってきてくれるはず!と心を無にして日々向き合ってきた。
が、気づけばどれだけ月日が流れても、自分が取り組んでいる仕事やクライアントとの関わりから

”感動”
”喜び・共感”
”感謝”
”新たな嬉しいつながり”
”目の前の人の支援を通じての達成感”

といった、これまで自分が仕事・活動する中での糧としてきたものが何一つ見つけられないのだ。

自分が幼少時から苦手・つまらないと思ってきた数字分析の時間が多いからか、
自分の理解力不足で知識吸収とトライアル数が追いついていないからか、
(なぜ英語のままにしておかないのか意味不明な)カタカナだらけの業界用語が興味を削ぎ落とし必要とされる知識アップデートを阻害しているからか、
自分の所属部署の専門柄、どうしても携われる広告配信商材が偏っているからか(サービスの日本→東&東南アジアへの越境EC販売・現地店舗来店誘致中心に取扱。日常生活で私自身最も不要だと思っている原価率が低めのコンプレックス商材が多く、広告の中身も日本国内外共に下品なものがどうしても目立つ。まるでお金を生むことが優先されている道具にしか見えないものばかり)、
とにかくどれだけ日々向き合っても、どんどん心が疲弊し思考停止の流れに陥るようになってしまってきた。
心が動くシーンに一つも出会えない日々が続いていた。

そもそも、大枠で見るとWEBマーケティング、という仕事の片隅を担当しているわけだが、明確な正解がないことの連続を扱いながらPDCAを永遠と回し続ける仕事である。
新卒はマニュアル通りに動く+α少しの工夫で動くのが当たり前だったり、その後も何かしらの今よりは明瞭な指針はある仕事を辿ってきたので、これに慣れるのにある程度は時間が要るのは当たり前。
それでもかれこれ3年半も時間を費やしたのに、なぜ成長できない?達成感を掴めない?業界柄新卒入社の方でも3年経過すれば次のステップへと転職する方も少なくない。だからこそ、これだけの時間をかけて掴めるものがあまりにもないのは、やはりおかしくないか?

働く場を変えるための転職活動をするために、
Linkedinや人材会社登録をしたりもしてきた。けれど、今の能力で履歴書・職務経歴書になんと書いてよいのかがわからない&同様の理由でLinkedinプロフィール充実化に滞り。求人紹介・問い合わせをもらっても勿論今とほぼ類似の仕事orより経験が必要なディレクション系の仕事ばかり(同じ仕事はつまらないから応募したくない&ディレクション経験はなく応募できない、で先に進まず)。
→これをトライしやっぱりダメだったらこの仕事続けるのは諦めようか、と基礎から学び直したく昨年受けた有料Webマーケティング講座で添削・アドバイスもらったりしたが、それに従って書類作成してもそこに書かれたアプローチポイントを再現できる自信はないし、そもそもそれにやりがい・面白さを感じない。

今の仕事関連でこれ以上模索しても先見えないなら、と過去の仕事に少しでも関連ありそうなカスタマーサポート職などを紹介してもらうものの、
その仕事を続けた後に見えるはずの世界に魅力を感じず、そんな風に感じている人間が応募するのは・・と踏み留まってしまう。何よりもまた、「面白くない」との戦いになる恐怖が大きい。


もちろん、現実生計を立て続けていくため+自分が求めるお金の使い道・貯蓄進行を叶えるための収入を途絶えるのは恐ろしい。
特別長けた能力を持たない私が、20代の時のようにまた未経験から仕事をできるチャンスも減っているはず。だから簡単には仕事を変える、生活を変えるわけにいかず、悶々としてきた。
日本にいれば、もっと同じ日本人として様々な生き方をしている方に会いに行きヒントをいただきにいける、と思っていたが、このコロナ禍発生によりこれまでのような突撃打開作戦もしにくく。台湾国内で同様にやろうとも、日本やオーストラリアと比較すると、どうも人に会えるチャンスを見つけにくい現状(過去お世話になった方は殆ど転居でもう台湾におられなかったり、Twitter経由で人に会いにいくも、なかなか次のステップには繋げられなかったり。来台当初主に行っていた言語交換会突撃作戦も、日本アニメオタクの台湾人に取り囲まれて話したい内容を話せずに終わったりし諦めた・・・)。


そして究極の悩み。WEB広告運用という仕事を続けている限り、
自分の脳味噌のどこかは365日ずっと仕事のことを気にし続けないといけない状況が続くことによる疲労感・自分の目の前の生活に集中できないストレス。
広告は全担当商材がプロモーション停止でもしない限り、休むことなく配信が続く。特に運用型広告の中でも面倒ごとが多いFacebook広告を中心に、真夜中であろうが年末年始であろうが、AIによる自動審査(or時に媒体担当者の手動審査)で広告や広告を管理するアカウント、ビジネスマネージャーが非承認を受ければ、回復処理対応しないと配信停止されクライアントに迷惑かかってしまう(+自社や間に入る代理店としても停止期間中分の売上が立たなくなってしまう)。
土日祝日は基本休みではあるが、このWEB広告運用の仕組み柄、新卒以来仕事選び基準で大事にしてきた条件の一つ・オンオフをつけられる仕事ではなくなってしまっている。
世間的に見れば、いわゆる「PC一台あれば場所を選ばずできる仕事(フルリモート・フリーで働く場合)」の一つではあり、近年まだまだ需要がある職務ではある。できるだけ若いうちにまだまだ行きたい国がある私にとっても、仕事さえできれば将来にわたり良い選択の一つ。
だが、仕事以外の時間での楽しみ・行き当たりばったり思いつき行動の連続が生活充実のキーポイントである私にとって、この状況がこの先も続くはとても辛い。
休みの日は頭をからっぽにし、好きなものに触れ自由に空想を広げる時間を持たないととてもリフレッシュできない。


***


そんなモヤモヤが散々続く日々の中、この度ようやく決心しました。
私まゆー、2022年2月末で現職、退職します。

ワーホリ行き、旅、就職、移住。これまでいつも大きく生活を変える行動を選べた時には、何かしら人との出逢いがトリガーとなってきた。
台湾移住以降、ずっとなかったそれが、先月12月にようやくやってきてくれました。

川原卓巳さんプロデュースの『やめるフェス』。

*公式Web - https://yame-fes.com/
*登壇者プロフィール記載ページ(Peatix) - https://yameru-fes.peatix.com/?lang=ja


そう、今回は初めてのオンラインでの出逢いがきっかけでした。

登壇者の皆さんは、既に様々なビジネス界隈でご活躍されている著名な方ばかり。
…ではあったものの、事前の台本類用意せずその場の流れでのイベント進行で催されたというこのイベント、皆さんかなりラフに、そして何より楽しそうに過去やめてきたこと、やめてきたその後をシェアされていました。
事前告知内容にはお名前がなかったゲストの方の飛び入りも2名おられたり、当日はスタッフ側としていらしたが、同じくご活躍されていてSNSでもお見かけする方などのお話も間で聞けたり、朝〜夕方まで丸1日、PC目の前にかなりボリュームある時間を過ごさせてもらうことできました。

皆さんのお話伺い、あ、なんか今の状況、今年中に片付けなきゃ・・!
とグッと押されたものがあった。
勿論、イベントで威力あるポジティブなお話聞いて一時的に盛り上がるのは誰だってある。だからイベント参加後、少し寝かせてみようとした。

けど次の日目覚め、今しかない、となった。2022年もずっと「つまらない」との戦いがメインの防護鎧を着続けることに集中して疲労する生活が続くのは、時間と若さ、体力の浪費になるだけで嫌だった(続けたら翌年末も同じ状況を迎えている絵しか脳裏によぎらなかった)。

最後の決め手は、昨年結婚したパートナーに推してもらえたこと。
イベント2日後の12/13、パートナーの誕生日に「辞めることを上司に伝えることを完了させ、妻(私)がHappyになってくれることが自分の誕生日プレゼントだよ、約束ね!」「まずは次の仕事の前に休むこと!」と。
次の仕事を始められるまで、もしかしたら自分の貯蓄ではやっていけない状況も出てきてしまうかもしれない。加えて、今回の退職後、本来台湾移住後の生活スケジュールとして事前に描いていた「ある程度働いた後、一度中国語学習に集中する期間を作る」を実行するために、一旦語学学校通学も予定している。
自分の人生のことでまだ一杯一杯で子どもも直近は持つ予定なく、もちろん2022年中の仕事再開(どうしても難しい場合、自分の貯蓄が尽きる前に再開)は絶対目標としているが、万が一の場合についても相談。生命保険周りなども含め頼れることも確認の上で(明日お互い生きてるかなんて、誰もわからないので一応)。


***

強烈なつまらなさはあっても、3年半以上踏ん張らせてもらえた職場。
そんなに嫌だったのに、続けられた理由。職場の上司同僚の”人”がよかったから。
決して前職までのように、楽しく話せる時間は多くなかった。皆忙しく、いつもサク飯(ぱっと食べてぱっと仕事に戻るランチスタイル。一般的な休憩時間にはなっていない)気味、残業も日本人どころか台湾人まで特に直近はどんどん長くなり、雰囲気的に帰りたくても帰りにくくなっていた。ランチ中もいつ何時も仕事の話ばかり。
でも前向きなビジネスアイデアや相談ばかりで、失敗発生しても起こったことは仕方ないから次で挽回しよう、ととにかく嫌味やネガティブになることはない職場。新アイデアがあればどんどん提案できる場。ビジネス・仕事、どんとこい、な方にはとても居心地良い環境なはず(オフの時間は仕事のこと一切考えたくない私が、そういうタイプになれないことがとても心苦しかった)。

そして、偶然タイミングよく、人材会社を通じて未経験採用可能で募集をしてくれてた所に飛び込んだ私を雇ってくれた老闆(中国語でボスのこと。現CEO)。彼がずっと私たちのトップとしていてくれ、謎に発生した現地税金周りのトラブル、日本への送金回り、家探しのお手伝いなど、過去一番の良きお人柄な上司として、一端くれ現地採用社員の私のこともよく気にかけてくれた彼には感謝しかない。彼が採用してくれていなければ、中国語できない私が台北で会社員就職できる先はなかったし、パートナーに頼らず就労ビザで台北生活の基盤を自分で築くこともなかっただろう。

つくづく、その時々に必要な人に恵まれて、今の私がある。


2022年1月頭現在、まだ語学学校も決め切れてない段階(問い合わせ・見学回り中)ではあり、まだまだ近未来謎な2022年。
でも、同様に年末をどう迎えているか不明瞭なまま始まった2013年、2016年も、それぞれ思いもしなかった楽しい毎日と新しい日常に囲まれた締められたので、2022年にも斯う期待。
変わらず、何が起ころうが前に進むしかない。

一つだけ、自分との約束。
もう「面白くない」「つまらない」の方向に走っちゃダメやで。
「面白い/面白くない」=私の数少ない大事な行動指針なんやから。


***

最後に。今回の決断を推してくれたきっかけ『やめるフェス』で伺った内容のうち、
個人的観点で、きっとここまで乱文をお読みいただいた優しい皆様のどなたかにもお役に立てるだろうと思うフレーズを少しシェアさせていただきます。
私の長いメモの後に、note上で見つけた他のイベント参加者様の記事も添付させていただきます(他のご投稿者様の記事の方が読みやすいので是非!!)。

【お話しされていた中でもっとも印象に残ったフレーズ】
▼澤 円さん
 ・ 「世界を動かしたければ、まず自分を動かせ」by ソクラテス
 ・まずは半径3メートル以内のものを動かしていく。そこから広げていく
 ・歳食っても色々面白く生きられるロールモデルになりたい
 ・「資格とっておけばよい?」って考える人がいる
 →それを取るくらいなら、自分の得意なこと伸ばす方がよっぽどよい
 ・「我慢」と「鍛錬」は違うもの(参考記事:https://diamond.jp/articles/-/267689?page=2)
 →これは「鍛錬」なんだ、と誤って思い続けるのはいけない(だいたいそうなってしまうのは、外の人に言われた影響受けていることも多い)

▼菅原 健一さん
 ・みんな多くのものを持ちすぎ。自分の決めたルール、持ち物の中ですごく制限されている
 ・走りながらいらないな、って思ったものはどんどん捨ててよい

▼武井 浩三さん
・お金=バグだらけ。そんな不完全なもので評価するのはいけない
・金銭的評価=基本的には不幸にしかならない

▼安藤 美冬さん
 ・次に着るべきものが見えてない状態で辞めること=大分葛藤するし不安。でも辞めないといつ新しい世界が来るのかわからない

▼齋藤 潤一さん
 ・いつかは永遠にこない
 ・嫌な期間=次のこと考えられないもの
 ・自信がある状態=そもそもずっと続くものではない。瞬発的なものでもある。だから一時得たらそれを手放し、また次に進むほうが良い。日本人=意味のないプライド持ってる人多い。

▼石倉 秀明さん
 ・良い人生だなって思ったこと=何回もいろんなことをやっているとは思うけど、その時その時に情熱傾けられる状況が良いことだと思ってる(それが半年でも一年でも、はたまた10年でも)。ずっと続くことが良いこととは思っていない。
・自分のできること・得意なことを見つける方法最近見つけました
→自分は普通でなんとも思わずできていること x 周りが意外と苦労していること=強みである可能性が高い
→逆に、自分が苦手だと思っているが、周りはそんな風に見ていない(大丈夫)なこと
→どこの場所にいるか。自分が活躍できる場所で働く、居る、選ぶことも大事
→スキルを上げるのでなく、今のままの自分で活躍できる場所、輝ける場所を選ぶ方が大事

▼5時こーじさん
 ・仕事はいつも 5:00-15:00のサークルで動いている(夜まで仕事するのをやめる)
 ・夜はいらない。捨てられる。忘年会での人間関係でなくても、今日のようなイベントや、朝忘年会など、他にもコミュニケーションはかり繋がれる方法はある!

▼仲山 進也(がくちょ)さん
・自由の対義語調べた - 束縛、校則、強制
・( 取り組んでいることに)「自由」(=自分に理由がある)と耐えられる
・その対義語として設定=「他由」(=たゆう、他人に理由がある)
・「他由を自由にどのくらい転換できるか」が重要では
・どれだけ探しても他由→自由に転換できない仕事ばかりの会社、辞めてしまった方がよいのでは?
・「鎧を着ている状態(その状態で仕事している)」
→自分の弱みを隠すこと
→逆に言うと、自分の弱みを隠すのにリソース費やしてしまっている
→鎧を必死に着る時間よりも、自分の得意なことで誰かを喜ばせていく時間を増やしていくべき
→自分の凸の部分が理解できれば、自分には凸の部分も凹の部分もあってよい、他人の凸がよりよく見えてしまっているのも気にしなくなる
・目の前(足元にあるもの)のことをやっているうちに今の位置にやってきた
・「価値」は自分が決める物ではなく、サービス・提供する物を受け取ったお客さん、相手
・自分はお客さんにどんな価値を届けたいか?(付き合いたくないお客さんは捨てる、やめる)

▼島田 由香さん
・「ずっと良い人」やっていると、最後「どうでも良い人」に成り上がってしまう

▼武田 双雲さん
・「戦い方」を知らない。知りたい
→はじめてやったのはSwitchゲーム
→負けたら悔しくて器の小さい自分が無茶苦茶出てきた。それで自分は器でかい人格者にはなれない、やっぱり戦わずにいこう、と決めて心が穏やかになった

▼川原 卓巳さん
・こんまりさん守る(ビジネス的に)ために、結構ボロボロになってきた(特にアメリカで!)
・差し違えて殺すくらいのつもりでビジネス交渉している。舐められたら終わり、の世界
・交渉の前提が違う。ここが日本人が世界で戦いにくい原因・壁とはなっている
・喧嘩の仕方はありがたいことに、現地の弁護士さんとチームになって仕事できたから学べた。そこからラーニングして積み上げてきた。
・ゴチゴチに色々ビジネス契約談義ではやられても、それが終わったらすっと仲良しになったりもしている
・(日本式の)いい人やめた →  強気の交渉(言い方変えると素直さ出して交渉)ができる
・一番辞めたこと「人生やめた」 - まりえさん(ワールドクラスの宝物/当時はまだ世界クラスで活躍する未来は見えてなかった)と結婚する時に決断
→まりえさんプロデュース、まりえさん個人はもちろんみているが、その先にあるまりえさんのビジョン・世界も見ての言葉。だから卓巳さんは折れない。
・日米で真反対って思うくらいカルチャー違うのを住んでいて感じる。
→日本 - 言わずして理解する方が上手、の価値観
→アメリカ - みんな違う、がスタート軸。言ってなんぼ!

▼近藤 麻理恵さん
・「いい人を辞めないと片付けができない」(四角大輔さんまとめより)
・物が捨てられない理由 - 過去に対する執着&未来に対する漠然とした不安

▼入山 章栄さん
・ 株式会社の弱点 - プロジェクト完了・目標達成したあと本当は辞めてもよいはずなのに、株価をずっと上げて、株主さんに永久に報いるシステムとなっており辞められない
・株式会社自体、オランダ・東インド会社がはじまり。たがが400年の歴史
・資本主義・株式会社からこれからどうやって変わっていくべきか?(by川原さん)
→そもそも株式会社が利用されるのは? - (何かしら大きなプロジェクトのための)大きな資金調達
→株式会社の課題 - 「お客さん」と「株主」が異なる存在であること。生協はそこイコールになる
→クラファンとかは - その代替手段となるのは期待している
→生協の仕組み=クラファンに近い。協同組合
→北欧の仕組み=生協的。(日本が)北欧社会を目指すなら株式会社を辞めないといけない
→仲山さん - 弥生時代(=現代の例え)をやめるw(縄文時代、弥生時代)
→弥生で分業進めすぎた。弥生は辞める。時代は縄文2.0。なんでまだ弥生やってるんだよw
・これから定住やめる人は増えてくる!家そのものをときめくか見る。片付けるのも(出てくるかも)

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