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「河童の三平」が舞台化してしまう…!その2

こんにちは!演劇集団円の牛尾です。写真は1998年初演、別役実作こどもステージ「帰ってきたピノッキオ」より、左から南美江さん、三谷昇さん、高木均さん。往年の名優、そろい踏み。

前回のお話↓

さて!この冬「こどもステージ・河童の三平」として傑作水木漫画が舞台化されてしまうのですが、そもそもこどもステージって何ぞや?なぜこの往年ファンが多い「河童の三平」をわざわざ子供向けで公演するのか。その辺りについて、私情を絡めてお話いたします!


さて、そもそも私が演劇集団円に入ったきっかけは、二人の女優さんの存在がありました。

私は円に入る前、富良野塾という所で鶏を絞めて食べたり有機農業の出面で働いたり近所から鹿を丸々貰ったりカメムシが全面に這って一枚の黒い布みたいになってた布団で寝たりして生活していました。富良野塾は「北の国から」で有名な脚本家、倉本聰先生の設立した独特な私塾です。文明機器を使わない、人里離れた北海道の谷の奥の奥地で、できる限り自給自足に近い生活を送りながら演劇の勉強をする(家屋も塾生が丸太を削ってイチから建てているというストイックぶり)という場所で、2年間、同年代の若者2,30人で丸太小屋共同生活を行います。冬は-30度近く、しかし電気ストーブなんて甘いもんは使わない。NO文明YES原始。夏期の間に狂ったように夜通し割った薪をくべて暖をとり、朝は日の出と共に農作業、夜は深夜まで木彫り人形、歩きながら寝るのは当たり前、畑作業では幻覚の草を抜いたりしながら、ここには書ききれないすさまじい生活を送りました。

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↑早朝、JAのバスでタマネギ工場へ向かうほぼ寝てないどすっぴんの私。


この倉本先生の奥様が平木久子さん。演劇集団円の女優さんでした。タバコを片手にコーヒーを一口、演出助手席にお座りになる雰囲気は粋としか言いようがないかっっこいい女優さん。

そしてもう一人、岸田今日子さん。演劇を知るずっと前からこの方の独特さに惹かれていました。お二方の所属されていたのが「演劇集団円」。富良野を卒塾してこれからどうしようか、奄美大島できびなご漁をして暮らそうかと漁師の就職面接会に行っておじさんたちに女に漁師はできないと叩かれ、鳥取に帰ってラッキョウ畑で働こうかと考え、でも演劇を続けるなら東京に出るしかないよな、やだな東京怖い行きたくないな、と迷っていた中で、お世話になった平木久子さんと、憧れの岸田今日子さんのいらっしゃる円の研究所の試験を受けに行ったのでした。

この岸田今日子さんこそが、40年続くこどもステージの創設者なのです。(ようやく話が戻って参りました。)

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↑洗濯物を取り込んで自分の部屋に向かう、農作業帰りの私。この時はその辺に生えている草は全て食べられると思っていた。リスやテンやカメムシの群れと戦いながら生きるか死ぬかのサバイバル生活。


それではこどもステージは何故生まれたのか。それは40年前に遡ります。

今日子さんには当時まだ小さかった娘さまがいらっしゃいました。お子さんを連れて演劇を見に行きますが、当時は子供向け作品といえば着ぐるみショー以外に選択がなかったとのこと。派手に大きな音を流してショーを盛り上げる演出に、周りの付き添いの大人たちも「我慢」して、子供の為に頑張って時間を割いているのを感じていらっしゃいました。

演劇を作られている側である今日子さんは、「子供騙しではない、大人も本当に共に楽しめる良質な子供作品は必ず作れるはずだ」と思い立たれます。そうして誕生した第1回公演、ドイツの絵本を谷川俊太郎さんが戯曲化した「おばけリンゴ」。演出は「おかあさんといっしょ」初代プロデューサーの小森美巳さん。テレビ黎明期「ブーフーウー」等を作られた方です。
こうして、谷川俊太郎さん・小森美巳さん・岸田今日子さんの御3方により、こどもステージは始まったのです。

おばけリンゴ初演

↑初演「おばけリンゴ」中央は岸田今日子さん。この作品は何度も何度も再演され、20013年版は美巳さん演出で私も出演させて頂きました。


こどもステージには様々な歴史があります。例えば「あらしのよるに」は作者きむらゆういちさんがご自身の手で初戯曲化した作品です。
映画化したのはその後。こどもステージが大ヒット絵本シリーズの原点となりました。

あらしのよるに

↑1997年初演時の写真。

また、度々こどもステージに書き下ろしをして下さっている別役実さんは今更説明する必要もない、不条理劇の代名詞のようなお方。「風に吹かれてドンキホーテ」では、人肉を食べるシーン、食べ残された生首が歌うシーン等がありましたが、こどもに向けてそのまま上演されました。

そして2011~2016年、全国の小学校を巡回した谷川俊太郎さん書き下ろしの「ひゅーどろろ」。私も何度も出演させて頂きました。↓

ひゅーどろ

狂言の所作を借り、オバケと少年の交流を描いた作品。生きている者も死んでいる者も「おんなじ命の違う形」だと、”70年前ピカっと光ったらワープしちゃった少年”が現代の少年に語り掛けます。


さて、ここまでの説明でなんとなく理解できましたでしょうか。こどもステージは、ブラックユーモア溢れる作品や、死生観を問う作品など再演を重ねています。衣装や舞台美術の視覚的「入り口」の部分はこども向けにデザインされていますが、作品内容はこどもを「理解の及ばない者」として扱ってはいません。
あれ…なんか水木漫画と親和性ないか……?!

そう、私は円の会員に昇格して以来、ずっとずっと感じていたのです。時の総理大臣や年金問題などが急に会話に挟み込まれる水木漫画。子供向けといえど媚びることが全くないこどもステージ。これは化学反応が生まれるのではないか・・・!

また、こどもステージには「桟敷席」というのがあります。これが非常に面白いのです。通常大人は普通の客席、こどもは親から引き離され、桟敷席というデパートのこどもコーナーにあるようなマットの敷地に靴を脱いで上がって貰います。だからそこはこどもたちの王国のよう。

はじめは、観劇中立ち上がる子、しゃべる子、走る子などもあらわれますが、話が腑に落ちると皆すごい集中力で観劇してくれます。
そしてのめりこむと、親が側にいないせいか、俳優たちに向けて作中ドラマに沿って話しかけたり、つっこんだり、その昔は舞台に上がってしまう子も現れたらしい。それを上手に拾ってお話を持ちこたえられる役者のアドリブは、毎年、本当に、見物であります!

例えば大人の芝居だと、有名人が登場するとお客もそのつもりで観劇しますよね。しかしこどもステージではそれが通用しないのです。当たり前だけど、有名人だろうと何だろうと関係なく、つまらなければ「つまらなーい」と口に出すこどもの率直な声。俳優たちは必死です笑。
また意外なことに、難解と言われる不条理劇や複雑なお芝居は、大人よりもこどもの方が先に反応を示すことが多いのです。笑いは特に、先にこどもたちが反応して、それを受けて大人が遅れて笑う、という流れ。大人たちは、お芝居の進行と共にこどもの反応も含めて、後ろで観劇します。

毎年、毎公演、後ろの座席から舞台を眺めると、こどもと俳優陣の間に生まれる不思議な化学反応。

有名人としてどうなのかではない、対こども、それだけのために必死こいてお芝居をする大人たちの姿は、傍から見ていると本当に”良い”のです。

どうですか、水木作品に合うと思いませんか?

こういう理由で、私は「河童の三平」は「こどもステージ」だ!と思い立ちました。世の中には有名人が沢山出てくる素晴らしい作品がある。だったら、ただ子供に必死こいてる作品があってもいいじゃない!それが三平だったら最高じゃない!


まあ他にも理由は沢山あるのですが、これ以上話すとネタバレになってしまうので黙ります。

さて、前回に引き続きここまで読んで下さった方、長々とありがとうございました!全員にご挨拶したいので、12月はぜひシアターX(東京・両国)にいらしてね!!!次回予告と全く違う内容を書いてしまいましたが次回こそ、「鬼太郎茶屋で働き始める。」

次回もぜひお付き合いください!



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