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激動の2022年 後半期

8月に上海に到着。
10日の確認を経て、今までオンラインでしか会ったことがなかった現地メンバーとも合流。
仕事よりもまずは生活が出来るように、生活に必要不可欠なappの操作を覚え、バスや電車に乗れるように同僚の指導を受け、覚える事に必死。中国語の学習までなかなか辿りつかない…

9月の1ヶ月はそうやって生活基盤を整えて、会社での立ち振る舞いを覚えるだけで、精一杯。
10月の国慶節の休みに入るまで、外灘に行くことすら無かった。

そして、最も辛かった10、11月。
国慶節が明けて少し経つと、娘が学校に行きたくないと言い始めた。友達と上手く行かないのかな、とは思っていたが、もともとコミュ力が高いので、何かのきっかけさえあれは、すぐに戻れるだろうと大して心配していなかったが、週に1、2日休んでいたのがだんだんと全く行けなくなってしまった。

そんな中、夫が体調を崩して入院。娘一人を家に残す不安と、夫の病院通い、中国語が出来ないので仕事もうまく進まない、なんだか八方塞がりで、どうして上海に家族を連れてきてしまったんだろうと涙に明け暮れていた日々だった。

そんな中でたくさんの不登校に悩む親子の事を初めて知った。毎日、電子書籍やYouTubeを見たり、専門家に相談したり、どう解決したらいいのか常に模索していた。
でも学校に行けない娘の姿は、実は仕事が辛いと思っていた自分の姿と同じだとある日気づいてしまった。

周りが優秀に見え、自分だけが出来ない人として場違いな場にいると言っていた娘の気持ちは、中国語の社内で居場所が無い自分とそっくりそのまままでなのだ。

凄いなー、親子って本当にシンクロしてる…

でも、私達が感じている恐怖や不安は本当のモノなのだろうか?
ここから12月はずーっと娘との対話と、自分の内観をして過ごした。今の恐怖感を生み出した過去の体験を解放したり、必要の無い価値観を手放したり。

ついに家族でコロナに感染し、会社にも学校にも行かない期間に突入。
心身共に要らないものを出した気がする。

2022年、後半は必要な暗黒期を経て、光を見つけられた気がする。来年こそもっともっと自由に生きたい!

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