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母乳育児に憧れて
母乳神話、という言葉を聞いたことがあるだろうか。
わたしがこの言葉を知ったのは、恥ずかしながら、出産後だった。
妊娠中から少しずつ母乳らしきものが出ていたし、
出産後はそのまま問題なく母乳育児ができると思っていた。
しかし、現実はそう甘くなかった。
「母乳をあげてみましょう」と助産師さんが赤ちゃんを連れて病室にやってきた。
まだまだアドレナリンが出まくっていたわたし。
「よし、頑張ろう!楽しみだな〜」なんて思いつつ、いざ授乳。
ところが赤ちゃんがうまく吸ってくれない。
おなかもすいて、疲れてきて、顔を真っ赤にしてのけぞって泣き始める。
わたしのおっぱいの形が悪いのか、
授乳姿勢が悪いのか、と困り果てていると、
「赤ちゃんが3000g超えてくると吸う力が強くなって、お母さんのおっぱいをしっかり飲めるようになるから、それまで練習頑張りましょう!」とのこと。
この日から、わたしの苦しい、悩ましい、授乳が始まった。
入院中は授乳のスパルタ指導。
毎回、授乳姿勢を片っ端から試し、それでもダメならミルクまたは搾乳した母乳。
その後手動の搾乳器で片胸10分ずつ搾乳。
搾乳器と哺乳瓶の洗浄。
搾乳した母乳を助産師さんに渡し、次の授乳にそなえておく。
これを3時間おきにし続けた。
赤ちゃんは毎回、顔を真っ赤にして泣いておっぱいを拒絶していた。
出産時のアドレナリンもすっかり切れて、わたしもフラフラ。出産して3日後、ヘモグロビンの値が激減したので鉄剤の注射を毎日することに。
母乳のために食べよう、という気持ちはあるものの、摂食障害が邪魔をする。お米を食べることができないのだ。パンなら少しは食べられたので、パン食に変更してもらった。
せめて水分だけはとろう、とお水やルイボスティーをたくさん飲んだ。
搾乳すれば母乳は出ていた。
でも赤ちゃんは吸ってくれない。
授乳の時間がつらかった。
授乳の時間は幸せなもののはずなのに、わたしにとっては恐怖の時間だった。
動悸がした。涙がぼろぼろ溢れ落ちた。ナースステーションの前でわんわん泣いた。
「mayuさんは頑張ってるよ、頑張り過ぎだよ」と助産師さんが声をかけてくれた。
出張で家をあけていた夫も、スマホの画面越しに毎日励ましてくれた。
夫のもとに早く帰りたかった。夫に会いたかった。
体力も気力も、もう限界だった。
結局、赤ちゃんがおっぱいを上手に吸えないまま、退院の日を迎えた。
夫に、搾乳器を買って欲しいとラインを入れた。
「授乳の練習をしていけば大丈夫だからね。飲めるようになるよ」
その言葉を信じて頑張っていこうと、このときは思っていた。
家に帰ってからも授乳の練習をした。
顔を真っ赤にして泣く赤ちゃん。散々練習に付き合わせたあと、やっと搾乳しておいた母乳を哺乳瓶で飲ませる。こくん、こくん、と小さな音を立てながら飲む娘。いつの間にか眠ってしまった娘をそっと布団に寝かせ、搾乳を始める。シュー、シュー、と搾乳器の音が鳴る。その後哺乳瓶と搾乳器を洗浄、消毒。
昼も夜も繰り返した。
手伝いにきてくれていた母からは、「搾乳しんどいでしょう。ミルクだけでもいいんじゃない?」と言われた。
たしかにそうだ。
搾乳の時間は虚しい、長い。
好きなアニメをNetflixで見ながら、なんとかやり過ごしていた。
でもわたしは日に日に疲弊していった。
ただでさえうつ病なのに、産後のホルモンバランスの乱れでうつ状態はさらに悪化。
母乳をあげるために、これまで飲んでいた精神薬系はほとんどストップ。
心の状態は最悪だった。
完全ミルク(完ミ)と、完全母乳(完母)、混合、どれでいくべきか…。
毎日悩んでいた。鬼の検索魔にもなった。
どうして産前にイメージしておかなかったのだろう。
母乳は出るけれど、薬に頼りたいくらい心の調子がよくないときはどうしようか、と。
今考えてみれば、さっさと母乳を諦めてミルクにし、自分のこころの状態をよくできるよう薬を再開すべきだった。
でもあのときのわたしにはそれができなかった。
母親ならおっぱいをあげるのが普通。
おっぱいをあげないと愛着関係が築けない。
ミルクにしたらわたしがいる意味がなくなる。
ミルクにしたら、母親失格だと思われるかも。
完全に母乳神話に引っ張られていた。
そんなこんなで過ごしていたある日、
搾乳してもおっぱいが少ししか出なくなってしまった。
突然のことだった。
搾乳しても次の授乳分のおっぱいが出ない。
足りない。
痛いほど搾乳しても、おっぱいがでない。
痛い、涙が滲む。どうしよう、足りない。なんで?たまたまだよね?次は出るはず。出ない。どうしよう。
そりゃそうだ。
痩せ細った身体。ハイストレスな日々。
母乳が出なくなるに決まっている。
それでもまだ、母乳神話がわたしの中でうごめいていた。
「なんとか1ヶ月だけは頑張ろう、1ヶ月健診でお医者さんに聞いてみよう」
1ヶ月健診では当然、母乳育児は厳しいのでミルクにしましょう、と言われた。
母親失格な気がした。
でもそれと同時に、諦めていいんだ、と少し心が軽くなった。
最後の搾乳をしたあと、涙が溢れた。
このおっぱいで最後なんだ、もうおっぱいを飲んでもらえないんだ。
退院日の朝、急いで搾乳器を買ってきてくれた夫にも申し訳なかった。
「こんなにいい搾乳器を買ってくれたのに、頑張れなくて、諦めちゃってごめんね」と泣いて謝った。
「1ヶ月も頑張ってくれてありがとう、すごいよ、たくさん使ってくれてありがとう、赤ちゃんも嬉しかったと思うよ」と夫は優しく労ってくれた。
1ヶ月間使った搾乳器をそっとしまい込んで、
わたしの母乳育児は終わった。
ときどき搾乳器が見えては心がざわついたけれど、
愛情をこめて、元気におっきくなってね、と願いをこめてミルクをつくった。
母乳育児が当然だという考え方は、今も根強く残っているし、たしかに、母乳が出るのであれば母乳をあげたほうがいいのかもしれない。(子宮の回復などを考えても)
でも、育児は人それぞれだ。
人には人の事情がある。
見えやすい理由もあれば、見えにくい理由もある。
人にお知らせする必要もないし、だれに口を出される覚えもない。
だれも口出しする権利はない。
ただ、わたしと娘と夫が笑顔で暮らせる選択をし続けること、それが1番大事なのだろう。
ときどき(いや、かなり)インスタのキラキラとした世界を見ては落ち込み、自分の育児を疑ったりしてしまうけれど、こういうときこそ、「よそはよそ、うちはうち」精神だ。
ちなみにほぼ完ミで育った娘は元気にすくすく大きくなり、1月で1歳になった。
ミルクよりも離乳食が大好きで、離乳食が進むにつれてどんどんミルクを飲まなくなった。そして1歳の誕生日前日夜のミルクを最後にあっさりミルク卒業。
牛乳が大好きで、ミルク卒業後は毎日欠かさずお風呂後に牛乳をコップ一杯。白いひげをつけて嬉しそうに笑っている。
ミルク育児だと愛着関係がなんとか…とか言うけれど、しっかり後追い泣きするし、人見知りをしてわたしにしがみついて泣く。後追いに関しては困るくらいだ。
母乳育ちかミルク育ちかなんて履歴書に書くこともないし、書くことがあったとしてもどっちも堂々と書けばいい。
でも、完母か完ミか混合か、悩んで悩んで検索魔になって睡眠時間を削っていたあのときのわたしが間違っていたとは思わない。
お母さんらしいことをしてあげたい、赤ちゃんのために何かしてあげたい、と必死になっていた証なのだから。
あのときのわたし、お疲れさま。
赤ちゃんは元気に育ってるよ。
あなたのことを泣きながらトイレまで追ってくるし、
食べることが大好きで朝から大人顔負けの量を食べて、それでも足りない!とぷんぷん怒っているよ。
今日はここまで。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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