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自己紹介 Part.3 女子の洗礼

よし、いいぞ。まだ飽きてない。

自分の人生を語り始めて、早くも3回目。

3回目なのにまだ小学生の話をしてます。笑

といっても全ては自己満なので気ままにのんびりと。

自己紹介 Part.1  Part.2 はこちらから。

約3年の上海生活を終え日本に帰国することになった我が家。

小6の11月、初めての転校生扱い

海外生活を終え、次の移住先は兵庫県。

 神戸のような都会ではなく、またもや山に囲まれた片田舎へ引っ越すことに。

両親は大阪出身で、親族も関西にいたため帰省した際には関西弁に触れることもあったが、私たち姉妹はずっと標準語を話していた。

関西弁が話せないことに一抹の不安を抱えてはいたが、上海日本人学校へ転入した時は人見知りにもかかわらずいとも簡単に馴染むことができた為、今回もうまくやれるだろうと思っていた。


しかし、その期待は転校初日に脆くも砕け散る。


ドラマでよく見るように、先生が私を紹介すると

"チュウゴクからやって"

"ほんまに日本人なん?"

明らかな好奇の声と目線。心地いいものではなかった。アイデンティティを疑われたこともショックだった。


休み時間になれば他のクラスからもわんさか生徒が詰めかけてきた。集まった生徒たちは矢継ぎ早に言う。

"なんか中国語喋ってみてや!"

"なんで標準語なん?おもろいなあ!" 

これはみんなただの好奇心だ。悪気なんてない。


ここで上手くパフォーマンスできていれば、また違った人生だったのだろう。

私にはその勇気がなかった。恥ずかしかったのだ。

中国語を披露することも、標準語しか話せないことも。

ただ困惑するだけの私に、次第にみんな興味をなくし、人だかりができることもなくなっていた。

言葉とは紙一重

転校生扱いも落ち着き、なんだかんだで私にも友達ができていた。

5人ぐらいのグループだっただろうか。

クラスの中心的な女の子たちが学校の案内をしてくれたり、何かと世話を焼いてくれた。


転校して数ヶ月たったある日、女の子の1人が

"見て見て〜!千秋やりま〜す!"

と言ってタレントの千秋のモノマネを始めた。

記憶は曖昧だが、顎の下に手を当て、体をクネクネさせぶりっ子のようなことをしていた気がする。

"え〜何それ(笑)きもちわるwww"

文字にすればこんなテンションで私はツッこんだ。

その瞬間彼女の顔は強張り、もう1人その場にいた女の子の腕を掴んでどこかへ行ってしまった。

やばい、やらかした。

そう感じたのも束の間、

こんなの冗談じゃん。真に受けないでよ。

と思ってしまったのだ。いや、すぐ謝れよ。

次の日学校へ行くと、それはそれは見事なまでにクラス全員と目が合わなくなっていた。

12歳、女子の洗礼を受ける

胸騒ぎを感じながら席に着くと、仲良し5人組がツカツカと私の方へ歩み寄ってきて、次々に折り畳まれたメモのようなものを置いていった。


開いてみるとそこには赤いペンで殴り書きされた

"謝れよ" "消えろ" "学校くんな" "目障り" の文字。

普通であれば怖くなって泣くなり、謝るなりするだろう。

しかし、謎の鋼メンタルを所持していた私はこう思った。

だからさ、冗談なんだけど。そんな本気にされても。

その思考、怖い、怖すぎる。なんでそんな強気なの。

結局、私から謝ることもしなければ、彼女たちからそれ以上何か言われることもなかった。

しかしそれからと言うもの、昼休みも一人で本を読み(といいつつ悲しくなって人知れず泣いたりもした)、何食わぬ顔で日々をやり過ごすことになる。


長くなりすぎました。

当時の私、なんでこんな強気なんでしょう。不思議。

それまでの12年間は友達と喧嘩なんてしたこともなく、それが逆に謝り方を知らないことに繋がっているのかもしれません。

さて、この後私は非常にダサい経験をするのですがそれはまた明日にするとします。

#自己紹介 #エッセイ #自分語り

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