【随想】長編小説の書き方
ツイキャスでご質問いただいて答えた内容を、こちらにも書いておく。これが正しいのだと主張するつもりはなく、おすすめするつもりもない。あくまで私の小説について考えるときの参考として読んでいただければと思うが、
私の長編小説の書き方は、ミステリを考えて、物語を見つけるということに尽きる。
1.ミステリを考える
まずはミステリとして、なにを書くかを考える。テーマとか、構造とか、トリックとか、これらは考える部分だ。
大抵はミステリに関する問題意識が切っ掛けとなる。私はミステリおたくなので、常にそういうことを考えている。たとえば『探偵・渦目摩訶子は明鏡止水』であれば、”後期クイーン的問題の解消”とそこに付随する”ミステリを絵空事で終わらせない”という大きなテーマから出発し、そのためのトリックを考案して、思想や哲学を織り込み、ロジックを詰め、構造化していった。
そうやって”ミステリとしての構造物”が出来上がる。これはまだ小説ではないし、プロットにも満たないが、重要な骨組みとなる。
ところで、私の長編小説にはあまりミステリらしくないそれもあるけれど、このアプローチを経ているので、私の意識ではすべてがミステリであり例外はない。私はミステリを、パンクロックみたいに一種の精神性で捉えているフシがある(もちろん一般的なミステリの定義と区別して語るようにはしている)。
2.考えるな、見つけろ
ここでいう物語とは、話の展開のみならず、そもそもの舞台、登場人物とその言動、各人の関係性などを含む。
そしてミステリとして書く内容が決まると、それを表現するためのベストな物語というのは、その時点で決定されている。だから物語については、すでに存在しているものを見つける作業だ。考えてはいけない。
考えると見つけるの違いは、もう少し詳しく説明する必要があるだろう。
よく「キャラが動いた」と云う作者がいるのは、物語を見つけようとせずに、考えていることが原因だ。”こういう物語を書きたい、こういう展開にしたいという方向”と、”それまで描写してきた登場人物の性格からして、その状況下でとると思われる行動”とが食い違って後者を優先せざるを得なくなったとき、作者は「キャラが動いた」という言葉を使う。
これは要するに、物語を見つけられていなかったのだ。自分の頭の中だけで無自覚に都合の良いように考えていたから、いざ小説を書き進めて正しい物語を見つけたときに、そういう捉え方をする。はじめから物語を考えずに見つけていれば、キャラが動くなんてことは起こらない。
考えられているということは、つくられているということだ。つくられた物語には興味を惹かれない。UMB2016で句潤というラッパーが対戦相手に「こいつは戦法を間違ってるぜ」みたいなことを云われて、「戦法を考えている時点でつくられている。あーやる気なくなる。つくられたラップ、これ自然に出ているラップ、どっちが食らう?」と問うバースがあるけれど、まあそういうことだ。あれすげえアガりましたね。
ミステリはどれだけつくり込まれているかに感動する。ミステリ部分の完成度は作者の手柄だ。しかし物語は、そういうものじゃない。かたちなく存在する物語をかたちにするのが作者であり、つまりは代弁者でしかないということは、謙遜じゃなく本当にそう思う。
だから私の小説には裏設定というものがない。書かれてあることですべてだ。ミステリ部分は作者として特権的に語ることもできるけれど、物語については読者と情報量が変わらないし、語るとしたら私も読者として語るしかない(続編の内容を私だけが知っているということならあるが、それもいずれは”書かれてあること”になる)。
3.物語の見つけ方
ではどうやって物語を見つけるのかという話だが、これは個々人が思考錯誤して感覚を養う以外にどうしようもない。はじめから上手に物語を見つけることはできなくて、見つけているつもりでも、実は考えてしまっていたという失敗を重ねていきながら、自分のやり方ができていくものだと思う。
それでも、困ったときの取っ掛かりとしては、必然性を意識することだ。ミステリ部分を考えてあれば、どんな事件が起きるのかはもうわかっている。そこから逆算して、どんな犯人なのかとか、どんな被害者なのかとか、どの時点でどんな手掛かりが発見されるのかとか、そういった要所は必然的に導かれる。必然的なものは考えているのではなく、見つけていることになる。
また、物語の材料となるのは自らの経験だ。私の書く物語は、すべて私の経験が基となっている。ミステリは考えるものだから他のミステリを参考にしたり、本で得た知識を基にしたりすることでよいけれど、物語は他人の物語のツギハギでまかなうのでなく、自らの経験に基づいていなければ絵空事になる。絵空事というのは結局のところ考えられたもの、つくられたものでしかない。
小説を書くのに、ある程度の読書は当然だ。しかしながら、いくら小説を読み漁ったところで、それだけで良い小説を書けるとは思えない。物語を見つけられないなら、必要な経験が足りていないということだ。したがって、その小説には、その小説を書くタイミングが存在する。それを無視して強引に書こうとすると、物語を考えてしまいかねない。
ミステリを考えて、物語を見つける。これこそが、小説を書くことが私の人生であって、逆もまた然りということの証明である。
そして小説は、読まれなければ存在していないことと同じだ。読者の皆さまに読んでいただいたときにこそ、小説は完成する。私の小説の書き方において、最後の部分を成り立たせているのがあなただ。
You complete me. (あなたが僕を完全にする)
――映画『ザ・エージェント』より
いつもありがとうございます。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。
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