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オーバーヒートを読んで

雑な感想


さて、千葉雅也さんの本をまた読みました。たぶん、読みたくなったのは、彼との関係性、そして母親からは結婚へのプレッシャーをかけられていて、それに対するヒントが欲しかったのだと思います。探して出てこなかったので、当時は感想文を書いてないようなのですが、デッドラインと同じ時期に、こちらの本も一回読んでいます。ただ、デッドラインほど印象に残っていなかったのか、ほぼ初めて読むような感じで2回目を読んだのですが、やっぱり答えが欲しくて手にとたんだな、という感想です。恐ろしい。私の心の奥深くに、言葉がひっそりと埋め込まれていて、この本を読めば、今抱えている問題がどういうものなのかわかるよ、ということまで、一回目読んだときに植え付けられていたんですかね…そんなことある…???


あと、私もともと腐女子だったのでBLとか通ってきたのですが、それでもちょっと「おぉ…」となる描写があります。


結婚しない生き方


私の個人的な話をすれば、私と彼は23歳年が離れていて、だから結婚するのはあまり現実的ではない、ように思っている。だから、私にも彼にも「ゴール」がない。主人公と晴人と同じ。たぶん、「ゴール」のない人はたくさんいる。今の日本は結婚しなくても生きてはいけるからだ。誰が何と言おうと。

僕たちはいつまで一緒にいられるのだろう。いや、ただの事実として、いつまで一緒に「いる」のだろうか。男同士には結婚というオチがない。結婚だって絶対じゃないが、男同士は前提として、どうなるかわからない薄氷の上にいる。僕はそれでいいというより、それがいいのだと思ってきた。

千葉雅也 『オーバーヒート』新潮社 2021年 P109


大人になったら結婚して子供を作ることは「ご飯に味噌汁が付くような当たり前の展開」(P109)だけれど、みんながみんなご飯に味噌汁をセットで食べたいわけではないし、食べられるわけでもない。その結果がこの少子化なのだろうけど。

なっちゃんは地元でたぶんごく普通の男と恋愛し結婚するのだろう。その運命、というか、ご飯に味噌汁が付くような当たり前の展開を僕は、憎みながら憧れているというのが本当のところなのだ。僕の母と父も当然のように生きた展開、その結果が僕という存在なのだ。(P106)

千葉雅也 『オーバーヒート』新潮社 2021年 P106

私だって結婚やウエディングドレスに憧れがない、と言えばうそになる。でもそうなりたいわけでもない。結局私も「それでいいというより、それがいいのだとおもってきた」(P115)どちらの選択肢もある程度は魅力的に思えるから選ぶ必要があった。当たり前を選ばなかった、それだけのことだと思う。
でも、選ばなかった当たり前にも、憧れがあるから未練が残り、たぶん一生抱え続けることになるとは思う。それでも、自分でこっちを選んだのだからまだ納得できる。


主人公とバーの常連との交流に見る人間関係の在り方に関するヒント

私はこの話の主人公に間違いなく親近感をもっていて、とくに、バーの場面で常連と交流するシーンでは、職場で抱えている人間関係についてのヒントをもらったような気がする。
その場での最適な答えを正しいタイミングで言う、のが雑談だと思うので、できないなら黙っておいた方がいい、と私は思ってしまっている。次に引用するフレーズが、分かりやすく表現されていて好き。

言葉はここでボールみたいなもので、投げる受けるのリズムが大事で、意味のある言葉は流れを止めてしまうからダメなのだ。

千葉雅也 『オーバーヒート』新潮社 2021年 P31

いつものバーのいつもの風景に馴染まず距離を取っていた主人公は、物語の最後の方でついにダーツをすることになる。このバーで行うダーツのゲームはチーム制で、負けた方はテキーラを一気飲みし、「まずい!」というのがルールなのだ。主人公のチームは負けたので、ずっと遠巻きで冷めた目でみていたテキーラの一気飲みを初めてすることになり、

「まずい!」と一応言った。そんなにまずいとも思わなかったけれど、一応。テキーラだって味わって飲める酒なんだから。

千葉雅也 『オーバーヒート』新潮社 2021年 P160

この物語でもデッドラインでもそうだったが、主人公には「普通の社会」への痛烈な憧れがある。ただ、そう生きない事への矜持もある。ただ、そんな主人公も、ちょっとしたきっかけで、輪の中に入りテキーラの一気飲みをして、投げる受けるのリズムよく「まずい!」の言葉を発した。これは青汁のCMが元ネタだそうだが、まずくもないものを「まずい!」とわざという。言ってしまえばただのウソだけど、投げる受けるのリズムよくボールをやり取りするというのは、こういうことなのだと思う。ふだんなら、テキーラを一気飲みして「まずい!」といったら、今後そのバーでテキーラを飲むことができなくなる。でも、そのバーはこのダーツゲームの後の罰ゲームの時間だけ「テキーラを飲んだらまずい」と言わないといけない社会、になる。その瞬間だけ、バーのなかは「テキーラはまずい」ということが正しいことになって、でも、ダーツのゲームに参加しなければ、その社会に入ることもできない。ダーツに参加してないのに、急にテキーラを一気飲みして「まずい!」というのは滑稽であり、間違いだ。

言葉はここでボールみたいなもので、投げる受けるのリズムが大事で、意味のある言葉は流れを止めてしまうからダメなのだ。

千葉雅也 『オーバーヒート』新潮社 2021年 P31

ここでいうリズムを壊してしまうことになるから。



このバーは主人公の行きつけで、物語の中で何度も登場する。いつもメインストリートにいる常連とはつるまず、一人で過ごしている主人公だが、居心地がいいのだと思う。職場の雑談に交じれず、距離を取っている自分の姿とよく似ている。リズムを乱してしまうなら、会話の和に入らずに距離を取っていた方がいい。それに、必ずしも、会話に加わらなければならないこともない。わきまえるってこういうことなのだろうと思う。

それでいいのだ、それがいいのだ。


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