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角を曲がる

 信号機が青に変わるとき、夕空の窓を烏が横切るとき、上履きに爪先を沈めるとき、わたしは彼女を思い出す。

 彼女は14歳で、わたしは15歳だった。
 
「鳥居坂じゃなかった?欅坂なの?」
「デビュー前なのに脱退した子がいるよね」
 スクールバスの中で、友達とそんなふうに駄弁っていたことを覚えている。当時、生駒里奈が大好きで、中3のとき、生駒ちゃんに憧れて髪を切った。欅坂46が結成した2015年の夏は、生駒里奈が、再び乃木坂46のセンターに返り咲いた夏でもあった。
 それだから、欅坂46にそれほどの興味も、期待も抱いていなかったのだ。長濱ねるが途中加入したときは、こんなに可愛い子がいるんだ、と驚いたけれど。

 その翌年、衝撃のデビュー曲はわたしの期待を大きく裏切ることになる。
 顔が小さくて四肢が長いからダンスがよく映える、ショートカットの女の子だった。
 欅坂46のデビュー曲はサイレントマジョリティー。センターは、平手友梨奈。

「君は君らしく生きていく自由があるんだ」

 カメラを真っ直ぐに見据えて歌うその姿は、日本中から天才だと賞賛された。"平成の山口百恵"と謳われ、乃木坂ファンの間では、"生駒里奈の再来"とも言われていた。
 天才は、お笑いが大好きで運動神経の良い、中学2年生の女の子だった。グループの末っ子で、笑った顔が可愛い。スラッとしているのに小動物みたいで、イタズラばかりするワルガキ。"笑わないアイドル"なんて言われているけれど、その素顔は、無邪気な14歳の女の子だったのだ。

 どうすれば、彼女はアイドルを続けていてくれたのかな?

 不協和音がリリースされて、握手会での事件が起こって、彼女は握手会に、バラエティに出演しなくなった。音楽番組では、顔を伏せるようになって、言葉を発さなくなった。
 アイドルに興味のない友達は、わたしに「平手ちゃんどうしたの?」と聞いてきたけれど、そんなことはわたしにも分からない。「でも、てちは特別なんだよ」と答えていた。
 てちは特別。2018年の1月に生駒ちゃんが卒業発表をしてから、わたしは更に彼女にのめり込むようになった。ノンフィクションのソロダンスには、どれぐらいの人が魅了されたのだろう。彼女の才能が、様々な場面で露呈されていく。2019年2月にリリースされた黒い羊を聞いたときは、サイレントマジョリティーを超える衝撃だった。去年の紅白歌合戦で披露した不協和音、もう何度目か分からないけれど、また、あの眼差しに心を鷲掴みにされた。
 彼女はわたしの中で、とびきり特別なアイドルになのだ。

 2020年1月、彼女はアイドルを辞めた。

 当たり前だけれど、忘れてしまうことがある。それは、「アイドルも人間である」ということだ。人間だから、心があり、意志がある。
 アイドルは偶像だ。わたしたちが見ているのはその人のたった一面で、エンターテイメント用に作られた、あるいはわたしたちが作り出した偶像。しかし、アイドルは偶像であっても幻像ではない。そこには確かに一人の人間が存在していて、そこには一つの人生がある。
 少なくともわたしは、彼女のことを神格化していて、所謂"信者"みたいなところがあったのだ。彼女は神でもロボットでもない、18歳の女の子だった。
 どうして、顔の見えない卑劣な手口で、18歳の女の子を寄ってたかって攻撃する大人がいるのだろう。それは、彼女が人間であることを忘れているから。



「みんなが期待するような人に絶対になれなくてごめんなさい」

 皮肉だ。
 14歳の彼女は、自分らしく自分の道を生きて良いんだ、とわたしたちに勇気をくれたのに、18歳になった彼女は、らしさを見失った。
 この曲は欅坂46の楽曲の中で、最も人間らしい部分を描いている楽曲の一つであると、私は思う。

「らしさって、一体何?」

 らしさって、なんなのだろう。その最適解も分からなければ、彼女が何を考えているのかも、私には分からない。彼女を救う(救うという表現は適切でないかもしれないけれど)方法は、本当はこの世のどこにも無かったのかもしれない。

 彼女は今、一人きりで角を曲がったのだろう。角を曲がったその先で、らしさを見つけられたらいい、自分らしく笑っていられたらいい。あなたがどんな道を選んでもあなたを、そして、第二章へ向けて走り出した欅坂46を、わたしたちは応援するよ、ありがとう。

 踊るのをやめても、歌うのをやめても、舞台から姿を消しても、わたしはあなたを思い出す。
 信号機が青に変わるとき、夕空の窓を烏が横切るとき、上履きに爪先を沈めるとき、角を曲がるとき。

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