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NFT界隈へのささやかな反抗(100次流通への思い)

 まず始めに断っておかなければいけないのは、この100次流通企画に「参加する」ということと、私の考えに「賛同する」ということは、まったくの無関係である、ということである。

 参加者の中には私の考えに反対する者もいれば、まったくNFTなんてわからないという人がいて良い。1本の黄金色に輝くフライドチキンが、様々な国籍、様々な生い立ち、様々な考えの人間のもとで、ただただ流通されていくことを、私は心から楽しみたいと思っているのである。

 このコミュニティ周辺にいるすべての人間が、なんともくだらないフライドチキンのキャラクターを中心に、楽しんでくれればそれで良いのである。
(以下続く…)

100次流通企画のバトンとなっているMidnight Chicken Combo #777


****ここからは私の気難しさが存分に出てるので戻るボタン推奨

 
 この100次流通企画は次のような発想から生まれている。
 
 我々は自分の作品を構成する画材の一部として、NFTという素材を選択しているのと同じだ。この時、NFTという素材の価値は、「ブロックチェーンであること」にあるのではないか。それならば、その素材の特性を引き出し、NFT作品の価値を高めていくためには、できるだけ多くの人との間で取引され、その履歴が刻まれることが良いのではないか。たとえば、「二度と同じ100人の間では流通されることはない」という運命的な感覚が、そのNFTに真のアート性と唯一性を与えるのではないか。

 そしてこの考えは、少なくとも今のNFT界隈に対するささやかな抵抗から生まれているのを、私は隠すつもりはない。
 今のNFT界隈は、お金の臭いしかしない。しかし私が思うに、あるアート作品の価値というのは、それが高く売れることをもって証明されるべきではない。数分で完売しようが、二次流通で高く売れようが、社会に対して、もしくは人の心に対して、何も生み出さないのであれば、私はそれをアートとはあまり呼びたくない。

 クリエイター(もしくはアーティスト)は自分の作品・考えがどういうものなのかを発信すべきであるし、そういった話を聞いてくれる人間に作品を買ってもらうべきである。
 高く売れることをもってして買ってくれた人間は、それが高値掴みだと気づいた瞬間に、あなたの最大の敵にすらなりうる。あなたがその高値に見合うかそれ以上の人間になるかまで、投機的な人間は待ってはくれないのである。このとき、売った側も買った側も、両方とも不幸にしかなりえない。

 お金は生活する上で重要なのは言うまでもない。清貧から芸術が生まれる、などという芸術論を振りかざす気もない。ただ、金銭的価値からアートが測られる状況になってほしくない。金銭的価値はあくまでアート的価値の結果であってほしい。

 とにかく、クリエイターやアーティストを自称するならば、自分の作品を「いかにして売るか」に苦しむのではなく、「いかにして良いものにするか」に苦しむべきである。そして、自分の作品や自分の考えを好きでいてくれるファンを愛するべきである。どんなにお金があろうとも、あなたを好きでいてくれるファンがいなければ、クリエイターやアーティストとしてはほとんど死んだも同然なのだから。

 筆に熱が入ってきたのでこのあたりでやめておく。

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 Midnight ChickenというジェネラティブNFTを作って半年が経過した。この半年、たくさんの人が私に絡んできてくれて本当に感謝している。

 みんな良い方々ばかりなので、「私(Mayonaka Yoshida)とあなた」という関係性を飛び越えて、それぞれが相互に交流し、このコミュニティを楽しんでくれると本当に嬉しく思う。そうやって少しでも幸せのおすそ分けができれば心から嬉しい。

 少し時間はかかるかもしれないけど、100次流通企画は成功させたい。この文章を書いていて、改めてそう思った。

 ここまで読んでくれてありがとうございました。今後とも、引き続きよろしくお願いします。


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