【#シロクマ文芸部】朧月の歌
「朧月ですね」
蛍式部がそう言って見上げる。
寝間着姿で月を見つめているその横顔の美しさは天女のようだった。
うっとりし過ぎていたのだろう、蛍式部が私の顔を見た。
「どうされましたか? 七草大臣」
嫣然とした笑みを浮かべながら蛍式部が言った。
僕は恥ずかしくなり、サッと顔を背けた。
「そう……ですね」
何とも歯切れの悪い返事をしてしまったが、蛍式部は気にしていない様子で再び月を見上げていた。
「朧月ですね」
蛍式部は同じ事を言った。
「お好きなんですか?」
僕は首を傾げて聞くと、蛍式部は少しムッとした顔で「こういう時は一つ詠ってみせるのが礼儀というものですよ」と注意されてしまった。
「す、すみません」
僕は朧月を眺めながら歌を考えた。
春の夜にかすんで見える月。
これを見て、どう気持ちを伝えればいいのだろう。
先輩方は、この月で意中の相手を射止めたと聞いているが、如何せん僕には和歌の才能がない。
前に先輩方と歌の集まりで、春の訪れを題材にして歌にしてみたのだが、渋い顔をして気まずい空気になった事を思い出した。
出来れば、彼女の前では詠いたくなかったが、こうなってしまった以上、語彙力と感性の乏しい頭で何とかするしかない。
僕は目が充血するくらい月を凝視した。
時々蛍式部の様子を見ては、頭をこねくり回して考えた。
うーん、うーん……よし、これだ。
うちひさす
宮にはあれど
月草の
うつろふ心
我《わ》が思はなくに
(私が宮仕えしているために逢えない時もありますが、私は色の褪めやすい月草みたいに移り気な心は持っておりません)
「『朧月』の歌ではないですね。それに万葉集から丸々取っていますし」
僕が詠った後、蛍式部はすぐに見抜いてしまった。
彼女の言う通りだ。
歌の勉強をするために、万葉集を呼んでいた所、良い歌があったのでこっそり書き留めていたのだ。
その歌をここぞという時に使おうと思ったが、才色兼備な彼女には効かなかった。
「歌、苦手なんですか?」
「えぇ、からきし」
「そうですか……では、私がお手本を見せてあげましょう」
蛍式部はそう言うと、すぐに詠いだした。
百に千に
人は言ふとも
朧月の
淡しきおもひ
我持ためやも
(あれこれ人が言おうとも、私は霞んで見える朧月みたいに、軽々しい想いは持っておりません)
僕は思わず立ち上がってしまった。
まさかの両想いだったとは。
いや、ここに来ている時点でそうかもしれないが、彼女に言い寄る人は沢山いるし……。
僕がドギマギしているのが可笑しかったのだろう、蛍式部は袖で口元を隠して笑っていた。
「後朝の文は、よろしくお願いしますよ」
そう言って僕を見る瞳は、蛍のように柔らかく光っていた。
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