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マルクス・アウレリウス帝の無常観

マルクス・アウレリウスの 「自省録」(3章1)では、「人生は一日一日と費やされて行き、……次第に少なくなって行く」に始まり、「我々は急がなくてはならない、それは単に時々刻々死に近づくからだけではなく、物事にたいする洞察力や注意力が死ぬ前にすでに働かなくなって来るからである」に終わる。

要するに、「人生は短いので(=無常観)、寸暇を惜しめ」と説く。これは倫理的無常観である。無常は我等においては普遍的現象なので、古今東西を問わず現れており、思想家の目に留まるとしても何らおかしな話ではないのである。マルクス・アウレリウスにしても然り。

同書(7章18)には「変化を恐れる者があるのか。しかし変化なくしてなにが生じえようぞ。宇宙の自然にとってこれよりも愛すべく親しみ深いものがあろうか。君自身だって、木がある変化を経なかったならば、熱い湯にひとつはいれるだろうか」とある。物事には変化即ち無常があるから人間に役立つのだ。

これは無常の肯定的側面を人間にとっての利便性という点で捉えている。美意識でなく利便性だとしても、無常を積極的に評価しているので、その意味では兼好法師と同じ立場に立つ。事物は無常だからこそよいのである。

かくして無常観は洋の東西を問わず思想家の書に見られるのである。しかもその無常観たるや、倫理的なるものもあれば積極的に評価されたものもあるのである。

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