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文芸批評断章18

18.
啄木の『食うべき詩』を読むと、こんなことが書いてある(以下、引用は青空文庫『弓町より』からである)。

若い頃の啄木は「朝から晩まで何とも知れぬ物にあこがれてゐる心持」を抱いており、それは「唯詩を作るといふ事によつて幾分発表の路を得てゐた」という。この憧れは常により高きを求めるロマン主義精神の発露であり、それは何らかの意味で理想主義でもあるが、それを現実のより善き状態への改善に結実せずに詩作においてのみ発散されるものだったのは空想的でもあった。いかに理想を高く掲げようにも、それが詩作に活路を見出すのみでは、現実は何ら変わらないのである。

「譬へば、一寸した空地に高さ一丈位の木が立つてゐて、それに日があたつてゐるのを見て或る感じを得たとすれば、空地を広野にし、木を大木にし、日を朝日か夕日にし、のみならず、それを見た自分自身を、詩人にし、旅人にし、若き愁ひある人にした上でなければ、其感じが当時の詩の調子に合はず、又自分でも満足することが出来なかつた」という。仮に空地を広げる・木を大木に育てる・早朝か夕暮れにその土地を再訪問する・旅に出る、などのことをすれば現実が理想に近づくよすがともなろうが、そのようなことは一切関心がなく、ただ詩にするだけである。現状は変わらず、砂上の楼閣ばかり高々とした鼻を見せる。

啄木はこのような美化の手続きに慣れると同時に煩わしくも思うようになる。「空想化する事なしには何事も考へられぬやうになつてゐた」のである。「吾々の詩はこのままではいけぬ」と漠然と思いながらもどうしていいかわからないのだった。

やがて啄木は結婚した。弱冠二十歳であった。一家の糊口の責任が世情を知らぬ詩人の上に落ちた。啄木は己れの境遇に反発し、食を求めて方々を転々とした。そして詩人は生まれ変わった。生まれ変わらざるをえなかったのである。「両足を地面に喰つ付つけてゐて歌ふ詩といふ事」を知ったのである。それは「実人生と何等の間隔なき心持を以て歌ふ詩」ということである。詩を特権視するのでなく日常化することである。私たちは「あな淋し」ではなくて「ああ淋しい」と感じるのである。

「犬の食を求むる如くに唯々詩を求め探してゐる詩人は極力排斥すべきである。意志薄弱なる空想家、自己及び自己の生活を厳粛なる理性の判断から回避してゐる卑怯者、劣敗者の心を筆にし口にして僅かに慰めてゐる臆病者、暇ある時に玩具を弄ぶやうな心を以て詩を書き且つ読む所謂愛詩家、及び自己の神経組織の不健全な事を心に誇る偽患者、乃至は其等の模倣者等、すべて詩の為に詩を書く種類の詩人は極力排斥すべきである」とすら言う。啄木が口を酸っぱくして非難する諸家のなかにはロマン主義者の影も仄見える。それは若かりし頃の啄木そのものでもある。

では、詩人たるもの、どのように創作活動に打ち込めばいいのか。啄木は言う。「真の詩人とは、自己を改善し、自己の哲学を実行せんとするに政治家の如き勇気を有し、自己の生活を統一するに実業家の如き熱心を有し、さうして常に科学者の如き明敏なる判断と野蛮人の如き卒直なる態度を以て、自己の心に起り来る時々刻々の変化を、飾らず偽らず、極めて平気に正直に記載し報告するところの人でなければならぬ」と。

これはロマン主義者の現実への目覚めである。とはいっても、自己の哲学を熱心に明敏なる判断力をもって率直に実行しようとするのだから、ロマンは捨て去られてはいない。「夢か現か」ではなくて「夢も現も」であり、両者の弁証法的統一である。これを私は「ロマンチシズムからリアリズムへ」と呼ぶ。この傾向は多かれ少なかれロマン主義的である文士に見られる(それは人間の成長にも見られるものであり、かつ一人の文学者の作品の変遷にも見られるものである)。推測を交えて言えば、我が邦では、鴎外然り、藤村然り。国外では、プーシキン然り。ロマンチシズムからリアリズムへの脱皮が果たせなければ、天を仰ぎつつ歩いては井戸に落ちたかの哲人の二の舞を演ずることにもなろう。すなわち、高きを追って猪突猛進し、足下を見ることもなく、挙句早世の憂き目に遭う(ギリシアの哲人がロマン主義者であった、というのではない。これは飽くまでも比喩として理解されたし)。我が島国では透谷然り。西の島国ではシェリー然り、バイロン然り、である。

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