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#文学論

ロバート・リンドの無常感

ロバート・リンドの無常感

無常感は日本独自のものではない。次の一節はロバート・リンドRobert LyndのThe Pearl of Bellsというエッセイ集からである。

With most men the knowledge that they must ultimately die does not weaken the pleasure in being at present alive. To the poet

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九鬼周造の「もののあはれ」と無常感

九鬼周造の「もののあはれ」と無常感

九鬼周造は言う。

「万物は、有限な他者であって、かつまた有限な自己である。それがいわゆる「もののあはれ」である。「もののあはれ」とは、万物の有限性からおのずから湧いてくる自己内奥の哀調にほかならない。客観的感情の「憐み」と、主観的感情の「哀れ」とは、相制約している。「あはれ」の「あ」も「はれ」も共に感動詞であるが、自己が他者の有限性に向って、また他者を通して自己自身の有限性に向って、「あ」と呼び

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花鳥風月

花鳥風月

古来より、日本人は春夏秋冬の巡りに敏感であった。人々は春には鶯の歌声に喜び、秋には紅葉を愛でるのであった。人々はそれぞれの季節の風物を通して、ある季節がいっそうそれらしくなっていくのを喜び迎え、またある季節の内部より次の季節が現れつつある姿に驚嘆するのであった。そうして一つの季節が静かに滅んでいくのであり、それをひときわ深く悲しむのであった。

・尾張連(おはりのむらじ)の歌
うちなびく春来るらし

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『徒然草』の弁証法

『徒然草』の弁証法

『徒然草』第百五十五段には、次のような一節がある。

「春暮れてのち夏になり、夏はてて秋のくるにはあらず。春はやがて夏の気をもよほし、夏より既に秋はかよひ、秋は則ち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ。木の葉の落つるも、まづ落ちてめぐむにはあらず、下よりきざしつはるに堪へずして、落つるなり。迎ふる気、下にまうけたる故に、待ちとるついで甚だはやし。」

(春が暮れてから夏になり、夏

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『伊勢物語』の無常感

『伊勢物語』の無常感

古来より、日本人は自然や物事の移り変わりに敏感であった。自然も人事も変転きわまりないものであるが、自然はいつしか以前の姿に回帰するのに対して、人事はその姿を失うや二度と元には復帰しないのであった。世は移ろって元に戻らず、人は老い、または死んでいくのであって、再び元の懐かしい頃には帰らないのであった。次の一節は日本文学史上稀(まれ)にみる色好みであり、かつロマンチックでもあった在原業平(ありわらのな

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藪から棒に文学論 おかしみ10(完結)

藪から棒に文学論 おかしみ10(完結)

「つまりだね、おかしみとは、持ち上げて落とす時に抱く減少感と、それに伴うちょっとした滑稽味をいうんだ。マックス・ジャコブでは、人間、つまり肉体という物質も魂も備わっている立派な人間かと思いきや、魂なんてどこにもない、単なる物質に過ぎなかった」
「持ち上げて、落とすってことかい」
「いかにも。西脇では、むさし野という詩的響きをもつ地に、文人のほめる、おそらくは立派な桂の樹があると思いきや、卑近な場所

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藪から棒に文学論 おかしみ9

藪から棒に文学論 おかしみ9

「おかしみの美学は、日本にもあり、フランスにもある。普遍的だって、言いたいんだね」
「いかにも。普遍的なのだから、古典にだってあるさ、部分的には、ね」
「ほう。たとえば?」
「かの有名な三夕の歌さ」
「コホン、コホン、コホン、ってヤツかい」
「そりゃ、三回咳をしただけだろう‥ 藤原定家のさ。」

見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ

「これも、持ち上げて落としているのかい」
「そうと

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藪から棒に文学論 おかしみ8

「そういや、最初の僕の質問を覚えているかい」
「覚えていないとも」
「そう威張るなよ。例の『月下の一群』の詩だよ」
「マックス・ジャコブの詩で、堀口大学の訳したヤツだね」

 ナポリの女乞食

 ナポリに住んでゐた時のこと、私の住居(すまひ)の入口に一人の女乞食がゐた、毎日私は外出の馬車に乘る前に、かの女に小錢を投げてやつた。
 或る日、かつて一度も感謝の言葉を耳にしないのを不思議に思つて、私は女

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藪から棒に文学論 おかしみ論7

藪から棒に文学論 おかしみ論7

「西脇の詩を一つ、紹介しようかしらん。『旅人かえらず』の26番目だ」

昔法師の書いた本に
桂の樹をほめていた
その樹がみたさに
むさし野をめぐり歩いたが
一本もなかつた
だが学校の便所のわきに
その貧しき一本がまがつていた
そのおかしさの淋しき

「これがその、お菓子の美学かい」
「『おかしみ』の美学だね。いつから君は昭和的ユーモアをふりまくようになったんだい」
「ダジャレって言おうか。君との付

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藪から棒に文学論 おかしみ論6

「もちあげて、落とす。チョコをもらったと思って浮かれていたら、もらっていないとわかった。そこにおかしみがあるって言うんだね」
「そうさ。西脇のいう『根本的な偉大なつまらなさ』だね」
「なんで『根本的』なんだい」
「そりゃ、人生、そんなことは実にしょっちゅうあるかさら」
「それが『偉大』なのかい」
「そうさ。人生の本質だからね。それを記録すれば、文学となって世間をにぎわすからね。果てはノーベル文学賞

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藪から棒に文学論 おかしみ論1

藪から棒に文学論 おかしみ論1

塾講師と詩人が話している。どうやら詩論のようだ。

「君は詩を書いていると言っていたね」
「まあ、そうだ。いまはマルセルとブーバーについて書いているよ」
「マサルとバーブー‥ 誰だい」
「何を言っているのやら。どちらも実存主義者さ。いまじゃ、枯れ尾花みないたものかな。わび・さびだね」
「君こそ、何を言っているのやら‥ そういえば、わび・さびといえば、関係しているのかわからないが、先日堀口大学の『月

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藪から棒に文学論 おかしみ論2

藪から棒に文学論 おかしみ論2

「ま、失敬なのはお互い様さ‥ 閑話休題。僕が君に聞きたかったのはだね、ある詩のよさがサッパリわからないんだ。マックス・ジャコブの『ナポリの女乞食』だ。これはどこがおもしろいんだい」

        ナポリの女乞食      

 ナポリに住んでゐた時のこと、私の住居(すまひ)の入口に一人の女乞食がゐた、毎日私は外出の馬車に乘る前に、かの女に小錢を投げてやつた。 或る日、かつて一度も感謝の言葉

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藪から棒に文学論 おかしみ論3

藪から棒に文学論 おかしみ論3

「おかしみは人間存在の根源さ。対象なり自分なりを持ち上げて、それから落とす。そこに生じる感情がおかしみ、さ。寂しさにちょっとした滑稽味をまぶしたものさ。」
「持ち上げて落とす、のかい」
「そうだね。それが自分の人生に深いかかわりを持つんだったら、おかしみじゃすまない。深刻な喪失感を抱くだろうね」
「喪失感、かい」
「そうさ。でも、自分の人生にさほど影響を及ぼさないような、実に些細なことだったら、さ

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藪から棒に文学論 おかしみ論4

藪から棒に文学論 おかしみ論4

「つまり、せっかくチョコをもらったと思ったら、それが間違いだった、それをどう思うのか、ってかい」
「いかにも」
「そりゃ、残念無念だね」
「感度が鈍いねえ」
「君の好感度が低いよりマシさ」
「君は残念に思うんだろうけど、彼女に特にゾッコンだったってわけでもないんだぜ」
「う~ん、だとしたら、ちょっとときめいたけど、結局何かの手違いでがっかりはするね。あと、ちょっとクスッとしちゃうかも、ね」
「クス

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