『伊勢物語』の無常感
古来より、日本人は自然や物事の移り変わりに敏感であった。自然も人事も変転きわまりないものであるが、自然はいつしか以前の姿に回帰するのに対して、人事はその姿を失うや二度と元には復帰しないのであった。世は移ろって元に戻らず、人は老い、または死んでいくのであって、再び元の懐かしい頃には帰らないのであった。次の一節は日本文学史上稀(まれ)にみる色好みであり、かつロマンチックでもあった在原業平(ありわらのなりひら)を主人公とする『伊勢物語』からである。
「昔、東(ひんがし)の五条に、大后(おほきさい)の宮おはしましける西の対(たい)に住む人ありけり。それを本意(ほい)にはあらで、心ざしふかかりける人、行きとぶらひけるを、む月(つき)の十日ばかりのほどに、ほかにかくれにけり。ありどころは聞けど、人の行き通ふべき所にもあらざりければ、なほ憂(う)しと思ひつつなむありける。
又の年のむ月(つき)に、梅(むめ)の花ざかりに、去年(こぞ)を恋ひて、行きて、立ちて見、ゐて見、見れど、去年(こぞ)に似るべくもあらず。うち泣きて、あばらなる板敷に月のかたぶくまでふせりて、去年(こぞ)を思ひいでてよめる、
月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして
とよみて、夜のほのぼのとあくるに、泣く泣く帰りにけり。」
(昔、東の京の五条通りに面した邸に皇太后の宮がおいで遊ばした、そのお邸(やしき)の西の対(たい)の屋に住む女の人があった。その女の人を、そうなるのが望ましいことではないと分かっていながら、どうにもならないで愛着する心の深かった男が、尋ねては行っていたところ、正月の十日くらいのころに、女は五条の邸以外の所に姿を隠してしまった。いる所は聞いてわかったが、そこは普通の身分の人が往(ゆ)き来(き)のできる場所でもなかったので、やはりいっそうつらいと思いつづけていたのだった。翌(あく)る年の正月に梅の花盛りの折、去年を恋しく思って東の五条の邸の西の対へ行って、立ってみたり座(すわ)ってみたりして見るけれども去年と似たような感じさえもするはずもない。男は泣いて、簾(すだれ)も障子もないがらんとした板敷の部屋に、夜中すぎるまで横たわって、去年のことを思い出してよんだ歌、
月はちがう月なのか。春は過ぎた年の春ではないのか。私の身一つだけはもとのままの身であって、私以外のものはすっかり変わってしまったような気がするが――
と詠んで、夜がほんのり明けるころ、涙しながら帰って行ったのだった。)
月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして
これは在原業平の和歌である。この歌人は『古今集』の序では
「その心あまりて詞(ことば)たらず、しぼめる花の色なくて匂ひ残れるがごとし」
(歌の《根源である》感動は余るほどこめられているが、《それを表現する》ことばが足りない。《たとえば》、しぼんでいる花が、その美しさは失せてしまって、匂いが残っているようなものである)
と評されており、阿部俊子によれば「調べの美しさの中に優美なロマーン的な情感を十二分にもり上げている半面、正確にその表現の中から真意を捉(つか)みとろうとすると難解と言わざるを得ない」という。そのため、この和歌の解釈も複数あるようであるが、ここでは「月やあらぬ春や昔の春ならぬ」の「や」を(疑問ではなく)反語と解して、「月と春は昔とは違っていようか、いいや昔と違ってはいない」としてみよう。すると、次のような解釈が可能である。
月は昔のままの月だ。春は昔のままの春だ。(恋人を失った)自分の身だけはもとのままでいて、もとのままではないのだ。
月も春も昔のままで変わらないが、自分だけはかっての恋人をいまや失っており、したがって昔の自分とは異なるのであり、こうして一年また一年と自分は老いていくのである。このようにして、自然は回帰しても人間は無常から逃れられないのである。
注:
『伊勢物語(上)』阿部俊子、講談社学術文庫より。
『古今集』の序の訳は『要説万葉・古今・新古今』日栄社、118頁より。
「月やあらぬ」の和歌の解釈は『古語林古典文学事典/名歌名句事典』より。この事典では、「や」を疑問ととっており、反語の解釈もあるとしている。
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