感情に任せて理性的になる

今回はこのタイトルが孕む圧倒的矛盾を解消するべく文字に起こしてみようと思います。

感情に任せて理性的になるというタイトル、なんだか言葉遊び的で面白くないですか?そんなことない?
人間にはもちろん感情というものが存在していて、それを操作することに長けた人のことを理性的なんていいますよね。
反対に下手な人が感情的、と。
なんだか少し前に「読書量が多ければ知識が豊富になり知能の土壌が豊かになる、ゆえに理性的な人が増える」というような旨のポストを見て(穿った要約になっているかも)違和感を覚えました。また、つい先日(書き始めた段階で)の話ですが、「創作者の性格や性質をみて作品を評価するのは如何なるものか」という旨のポストを見て上記のように思ったこともあり、良くも悪くもやはり人間社会において感情というものの扱いはかなり難しく、また当然のことながら感情の扱いはかなり重要なものであると考えさせられた次第です。

そんな僕も実際はかなり感情的になりやすいタイプではあるので、その側面が表われないように理性を保つことをテーマにして生活しております。それでもチラ見えする部分はあるので都度反省ですが…。
というかもはやそれ自体が感情によって理性的になる、という矛盾になるなと。
そんな感情制御のお話です。

まず、知識の土壌が豊かなことによって理性的な面が大きくなる、という考え方自体は否定的ではありません。僕はたまに申し上げているように性悪説を唱えてしまいたくなる側の人間です。
人間は基本悪であり、様々な経験値や知識を得て道徳心や倫理観を育てていく物だと思ってます。
ただ、その段階が上手く踏めない、つまり上手く育たない場合があります。
要因は多々存在すると思います。いわゆるIQ的なものからくる性格、知能の問題などが中心となるでしょうか(優劣問わず)。
おそらく多くは先天性の物であり、結論として性悪説を信じる方がしっくりくるといいますか、腑に落ちるというような感じなのです。
稀に後天的要因も存在しますが、こちらに関しては少し同情できる場合もあるのかもしれないですね。家庭や周囲の環境など。

ここまでは僕が何となく感じている部分でございます。

さぁ、ここから本格的にタイトルの事柄について考えていきましょう。

よく聞くものとしてアンガーマネジメントなどはこの例の一つなのではないかと感じます。
一度沸騰した感情を冷静になろうとする心、気持ちのもとコントロールする。そのための理性を感情のもと持ってくるという感覚で捉えています。
また日常になぞらえて考えてみると、これも最近世間がざわついた(?)SNSの使い方などにも表れてくるのかなと。

ここから先は、少し個人の感想というか、主観的な部分とそれを表現する言葉がより強くなります。閲覧注意です。知らんけど。

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