見出し画像

バカみたいだけど、自意識のせいで会社に行きたくなくなったのかもしれない

4ヶ月ぶりに会社へ行き、上司と面談というか、話をした。

休む直前、朝起きて仕度をしていると「あ、もうムリ」と頭の中に「無理」って二文字がはっきり浮かんで、その足で会社ではなく病院へ行き診断書をもらって休んでしまった。なんかもう、体が突き動かされている、という感じで病院に導かれていた。

20代は、「そこから飛び降りて死ねば?」ってふつうに言われる職場とか(ありえない)、ワンマン社長からむちゃくちゃな言いがかりされてクビにされている同僚がいる職場とか(かなりありえない)、毎日0時まで働くとか(ありえるけど、ありえない)、世の中でいうブラック環境で働いていた。それでも、風邪とか胃カイヨウとか体調不良以外で休んだことはなく、ヘタレのわりに意外と丈夫な心だと自負していた。

今の職場はむしろ超ホワイト企業なのに、休んでしまった。だからなおさら、この環境で休むなんて、もう本格的に私はダメなのかもしれないと落ち込んだ。

そもそも自分でもなんで休んじゃったのか、全然わからない。20代の職場のようにわかりやすい理由があるわけでもないのに、「無理」って思ってしまった。考えてもわからない。なんども状況を整理し、どうなったら大丈夫だったのか? とシュミレーションするけどわからない。思考が同じところをぐるぐるぐるぐるまわって、闇の中から出られず、どっちへ向かって気持ちを切り替えればいいのかわからない。

最初の2ヶ月は何も考えられず、布団やソファの上に横たわりながら時計を眺めていた。出かけたくないし、動きたくないし、眠いわけでもないし、なんでここに自分がいるんだろう、ということを何時間も考えていた。

それでも夕方になれば子どもの世話はしなければならないから寝ているわけにもいかず、夕食の準備をするが、とにかく苦痛だった。

味噌汁を作るのも、むずかしい。まな板を取り出し、大根に包丁をさしてダンっと切る。ため息をついて、もう一回ダンッと切る。これだけの作業に10分くらいかかっていた。

私は食べたくないのに作らなきゃいけない。ツライ。ツライ。ツライ。

家事代行を頼むようにしたものの冷凍したおかずを温めるのは、私。削ぎ落としたあとに残ったほんの少しの家事も、苦痛。レンジに入れて1分あっためるのもイヤだなんて、私にできることはなんなんだ。悲しくなる。

母親とはなんなのか。食事の用意もできず、働きもせず、子どもの面倒も見られず、私は一体、なんなのか。何もかもから逃げたい。

責任を少しずつ分解して、できることを積み上げなければ。味噌汁1杯作るのに頭の中で壮大なディスカッションがはじまり、「とにかく、手を動かせば終わるはずだ」と奮い立たせる。

必死に用意した夕飯をほぼ全部残され、全ての工程を全否定された気分になり、瞬間的に怒りが駆け抜け子どもにキレる。感情的になっても意味がないのはわかっているけど、怒りで震えて怒鳴らないと気絶しそうなくらい苦しくなった。

こういう日が続き、このままでは危険だと思い、2ヶ月くらいベビーシッターさんを呼んだ。世話してもらっている間に寝ようと思っていたのと、他人の目があると怒鳴らなくて済むと思ったからだ。

でも、家に私がいるせいでシッターさんに全然なつかず、大泣きして私から離れない。

ただ、横になりたいだけなのに、それすら叶わないのか。と絶望的な気持ちになって夜中に家出した。

ラボの人が「サウナ入って水風呂に入るとスッキリする」と言ってたのを思い出し、ラクーアに向かった。サウナして息を止めて水風呂に入ったら、たしかにスーッと邪念が消えていく感じがし、効果を感じる。

いく当てがないので1泊し、翌朝帰宅した。

混乱が落ち着いてきたのは、3ヶ月経った頃だった。やっとふつうに生活できるようになり、食事の仕度もできるようになった。そして、休み続けても状況は変わらない気もしたし、医師の許可もおりたので会社へ戻った。

私的には、「地獄が過ぎ去った」という感じで出社したけれど、思っていたより「病人」扱いされていて、会社の対応としてはすごくていねいだけれど、「あ、まだ危ないのかな、私」と逆に不安になった。

そんななかで、上司2人と話をする。直属の上司から、

「焦らず日常に慣れるように心がけたほうがいいよ。もう、30代全部使ってしっかり治す、くらいの気持ちで、しばらくは自分の状態を観察して「やばい」と思ったら逃げてもいいから。そしたら絶対治るし、こじらせると本当に一生になっちゃうから」

と言われた。そして「バレットジャーナル」という2014年くらいに流行ったらしい、箇条書きするアメリカ発の手帳術を勧められた。

「もともと、これも自律神経系の治療の一環だったらしいんだけど、毎日、自分の状況を箇条書きにして記録しておくと、ちょっと変化が起きた時に「あ、やばいな」とか自分で気づけるから、書いて残した方がいいよ」

調べてみてちょっと面倒だなと思ったので、とりあえずnoteに残そうとはじめたのが、この日記だ。自意識を外す練習にもなるし、ちょうどいい。

もう一人の上司からは、「三寒四温、という言葉のように、少しづつ前に進めばいいから焦らないで。右肩上がりにぐんぐん進むなんて、人生、ないんだから」と優しい言葉をもらった。

そして「まだ30代なんだし、まだまだ」と言われ、少し目の前に道があるように感じられた。

休んでいる間、私の前には道がもうなくて、閉ざされ、終わったんだと毎日、毎日、呪いのように頭の中で響いていて、人生を辞めたいと思っていたから、「まだ、大丈夫なんだ」というのと、

「私、もう、ゆるやかにいく感じなんだ。そっか」

と、妙に納得した。

ずっと、しがみついていた「成長しなきゃいけない」という妄想が成仏した瞬間だった。そうか、自意識をピリピリ1枚づつ剥がしていると、いい感じに期待されない道をなんの深読みもせずに、歩けるもんなんだな。と思えた。

眠り続けている自意識を吐き出し切ったとき、これまで苦しめられていた「なんだかわからないけど、ここにある」ぼんやりしたモノを手放せる気がする。そのためにも、書き続ける必要があるんだと思った。


この記事が参加している募集

noteのつづけ方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?