仮面をかぶらない勇気!『魔女だったかもしれないわたし』の感想
冒頭のサメの話でおどろきました。
「サメには第六感があり、大気中の電気も感知できる」そうです。
どんな風に感じているのだろう?
僕たちが皮膚の空気感で、毎日の温度を感じるように、サメは日常に電気を感じているのでしょうか。
この記事は、『魔女だったかもしれないわたし』を読んだ感想です。
物語のネタバレを含みますので、これから読む予定の方はスミマセン。
ここから先は読まないようにお願いします。
『魔女だったかもしれないわたし』を読んだ感想
本書を読んで、まず最初に「自分も仮面をはずして、自分の行動に責任を持ちたい」と感じました。
「人は誰しも、まわりにあわせて仮面をかぶって社会生活をしている」
そんな思い込みが、僕にはありました。
そして、主人公の姉の、かつての汚名を晴らせたのが、僕は嬉しくてしょうがないです。
主人公の話よりも、です(笑)
同じように感じた方はいませんか?
姉のかつての汚名を晴らせた件を含めて、下記3つ
・波風を立てないように仮面かぶる
・大人もいじめや差別をする
・自分の行動に責任を持つ
『魔女だったかもしれないわたし』から感じたことをまとめます。
波風を立てないように仮面かぶる
自閉をかかえる少女アディが、物語の主人公です。
「魔女狩り」の史実を知ったアディは、「わたしも当時なら、魔女呼ばわりされ裁かれていただろう」と考えます。
「正しいか正しくないか」は関係なく、「みんながいいと思ったこと」が、社会の「いいこと」になるからです。
波風を立てないように。
次は自分がターゲットにならないように。
みんな、「正しいことを見なかったふりをする仮面」をかぶっていると感じませんか?
僕も同じです。
みんなにいい人だと思われたくて、仮面をかぶっています。
困ったことに、主人公の担任の先生までもが、「正しいことを見なかったふりをする仮面」をかぶっているのです。
大人もいじめや差別をする
ある日、主人公はクラスメイトのいじめに遭います。
大切な本にヒドイ言葉を書かれて、ビリビリにやぶかれてしまっていたのです。
カッとなった主人公は、いじめをしたクラスメイトに暴力をふるってしまい、罰せられてしまいます。
問題は、担任の教師も、あからさまに主人公をいじめてくることです。
担任は大切な本を傷つけられた事実を隠し、「主人公が一方的に暴力をふるった」とでっちあげてきます。
大人だからといって、いじめをしない訳ではないのは、分かる。
それでも、こんなことをする担任って、ひどくないですか?
僕はハラワタが煮えくり返りそうです。
他のクラスメイトも、大切な本を傷つけられた事実は見ないふり。
次は自分がターゲットにならないようにするためです。
さいわい、主人公の姉が学校に乗り込み、事実をつきとめ解決してくれました。
なんと以前、主人公の姉も、この担任にでっちあげのいじめを受けていたのです。
主人公の無罪が明らかになって良かった。
さらに、姉の当時の汚名も晴らせたのが、僕は嬉しくて嬉しくてしょうがありません。
自分の行動に責任を持つ
心で思ってしまうのは、仕方がないと思います。
・この人は好みじゃないな
・この人は自分にないものを持っていてズルいな
仮面をはずして行動にうつすと、そこには責任が生まれます。
いじめを行ったクラスメイトや担任。
解決に乗り込んだ姉の行動も、責任がともないます。
たとえ自分が、次は責められる立場になろうとも、正しいと思ったなら仮面をはずした姉。
僕も仮面をつけたままではなく、「自分で責任をもって行動できるようになりたい」と感じます。
以上、『魔女だったかもしれないわたし』を読んだ感想でした。
同じく、正しさについて、とっても考えさせられる物語で『かがみの孤城』という作品があります。
『魔女だったかもしれないわたし』を読んだ方にピッタリな作品なので、気になった方はこちらの記事もご覧いただけると嬉しいです。
>物事が正しいか正しくないか気になる理由は「自分で決めていないから」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?