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今さらコミュニケーションを学ぶのかーい

「数打ちゃ当たる」
そんな風に思っているわけではないが、アイデアが浮かぶ度に、自分の作ったサービスを告知してみる。
思いついたアイデアを世間に出し始めて、かれこれ4年。

ほとんどヒットしないのも事実だから、人から見たら、空振り三振のバッターのように見えてるかもしれないし、ただの打たれ強い人間に見えてるかもしれない。
(きっと私が私にそう思わせているだけなのだが)

確かに、私は、中学生の頃から「当たって砕けろ」精神で、好きな人に度々告白してきた。
この性質が災いして、今もこうして世の中に対して告白しては砕けているのかも、と時々思う。

私は、そんな状況を見て、「どうせ私は人気がないから」「有名じゃないから」、はたまた「人に好かれる性格じゃないから」とか自虐に走ることもあれば、逆に「先見の明がありすぎてまだ出すには早かったのか」みたいに自分をある意味慰めるとか。
「ま、いっか」と思ってみようとするとか。このように様々な理由を自分に投げかけ何とかこの場を凌いでいる。

しかし、本当は結構ガッカリしている。
相当落ち込んでいる。
まったくもって、打たれ強い訳ではない。
だから、何かを告知する度に、「満席です」「満員御礼」でうひょひょーとなる人が羨ましい。

それなのに、全然平気なフリをしてきた。
そういった顔は見せないようにしてきた。
誰かのコンサルを受けても、その辺りは大丈夫です、絶望してません感を出して、自ら触れないようにしてきた。
なんなら、希望や理想を機関銃のようにぶちかまし、牽制していたふしもある。

きっと、自分のプライドが邪魔して、本音を伝えることを避けて来たんだと思う。
本当は絶望している自分を、私が受け止められないだけだった。

今もなお、なぜこんなことを繰り返しているのか?
と自分に問う。

そしたら、告白から告知へと色味は変わってはいるが、中学生の頃からの「当たって砕ける人生」を終わりにするべきという、自分からの信号だという大きな気づきがやってきた。

「一方的に放って砕けて終了」というコミュニケーションをやめるということ。

一方的に投げて、キャッチしてもらえない。
今まで、確かに私は諦めていた。
これ以上話しても伝わらない。
ならば、これ以上話さない方がいい。
それをずっとやっていたことに気づいた今、本当の意味で双方向のやり取りをちゃんと成就させたいと思った。

ホロスコープが読める私でも、ホロスコープ上で、言語・コミュニケーションに分かりやすく課題として置いているわけではなかったので、全く気がつかなかった。
が、しかし、自分探求とホロスコープの読みが深まった今、コミュニケーションや言語能力にテーマを持っていることも分かった。

「数打ちゃ当たる」から始まった、この文章だが、着地点は「私はこの人生で、コミュニケーションを諦めない」ということだった。
そうか、そうだったのか…
失敗して学べ、という人生だったのね。
ここからは、諦めない!私!

なんて、センチメンタルな感じで着地しそうになったけど、この文章を書いてたら、全く違う私が登場した。

失敗から学べなんてクソ喰らえー!
当たって砕けろ人生で一生終えろなんて、んなことあるかーい!!
そんな不毛な人生、好き好んでやってるんじゃないわー!!
なんなら、私の放ったもの全てを成就さてやる!!
と、野心満々な私が出てきた。笑

きっと、本当の私ははなから諦めてなんていないのだ。
百戦錬磨。
諦めそうになっている思考で作られた私への喝だったのね〜。

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