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ニュートラルな生き方へ

【自分がニッコリできる世界のつくり方】を書いたあと、あらためて考えてみた。

自分の心地いい状態は、「土日祝日は休むためにある」のか「土日祝日は好きなことをするためにある」のかで考えていたけど、そもそも私にとって土日祝日と平日を分けること自体が枠になっているのかもしれない。
そんな風に思った。

確かにどこかにお勤めをすると、その勤め先によって「休日」は決まってしまう。
だからこそ、「休日」と「休日ではない日」が分けられてしまうのだけど。
カレンダーに休みという概念が張り付いていなければ、どの日もただそこに「ある」だけなんだなぁと。

いつも何かに意味付けしているのは人間で、その意味付けに囚われて、ガチガチになってしまっているのかもしれない。
私はそういう意味付られたものから自由になりたい。
きっと、そうなんだと思った。

何事も両極に振れるのではなく、真ん中、それも少し高い位置、どっちでもないところに私はいきたいんだな。

それは難しく感じるかもしれないけど、何か窮屈に感じたとき、「どうなったら私はリラックスして生活できるのか?」を考えていけばいいんだと思った。

よく考えたら、2020年からの3年間、ずっと外に働きに行かない私はダメだという思考から抜け出す練習をしていたなぁと。

最近まで、なぜダメだと思うんだろうと思って考えていたけど、そもそも「働くとは誰かに雇われること」だったからであって、それは私が勝手に私に貼り付けた「観念」だったと気づいたとき、少し楽になった。

「じゃ、ここからどうしたい?」
そう自分に問いかけ、私がリラックスできるやり方で仕事をするということを選んだ。
それは、雇われても雇われなくてもよくて、なんなら自分が楽しめることを仕事にしていいと許した。

こうやって、私がニッコリできる世界を作っていけばいいんだよな〜
それを許していけばいい。

ニュートラルな生き方へ。

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