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能面ヅラやめます

気持ちを悟られないよう、無表情を作るのが得意だということに気がついた。

どんなに嫌なことがあっても、不快に思っても、何事も無いかのように能面ヅラすることができる。

「スン」としているのだ。
心中穏やかでないというのに。

人間は、他者に自分を投影して映し出している。
最近、私は、"顔に出すけど何も言わない人"や"顔に出さずスンとしてる人"に注目させられることが多かった。

だとしたら、本当は顔に出したいくらい何かを言いたい自分と、自分を抑えつけてる自分がいるのかもしれない。
そんなふうに考えたとき、私は自分の不快な気持ちを隠すために、普段は「スン」としているのだと気がついた。

これは、多分、小さい頃から身につけた"自己防衛策"だろう。
どうして「この特技」を使うようになったのかは、まだ思い出せないが。

そして、この防衛策が発動するのは、すべての人という訳ではない。
まったく知らない人には、嫌な感情を顔で表現している。(大人気ないという自分ツッコミがきた)

処世術のようだけど、処世術でもないんだなとも思った。
だって、勤め人だった頃、会社の中では平気で出していたから。
"社会人"として身につけたというならば、会社員として働く場所では出ないはず。

なんなら、直属の上司には思ったことを、よくぶつけていた。
平気でブスッとしていたわ。
まあまあな反逆児。笑
よく、辞めさせられなかったな。

今朝読んだ、オードリー若林のエッセイ"表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬"で書いてあった、アイスランドの間欠泉の話ともリンクした。
そもそも、この地球の中は熱くて、ぐじゅぐじゅしてて、それが時々ドッカーンと吹き出している。
自然とはそういうものだ、としたら。
私たち人間も同じだ。
色んな思いで熱くて、ぐじゅぐじゅしてて、時々ドッカーン。
地球と同じ、地球の上に立つ生き物なのだ。
いいではないか。表現したって。
(大きく出たな)

とにかく、最近気づいた私のこの癖。
どんな場面においても解除の方向らしい。
思ったことを素直に表現することの難しさを、1対1の関係以外にも拡大させていくのが、ここからの目標だとお上に常に言われ続けている。(お上って誰だ)

そう、もう隠している癖は隠せないのだ。
そういう時代の流れなのだ。
そう思うことにして、私は無骨ながらも、そっち側でやっていこうと思う。
失敗もあるかもしれない。
でも、今までそっち側をやってなかったのだから、練習していくしたかない。

能面ヅラで生きてた過去の私と遭遇していた方々は、腹黒な私の一面を覗き見たかもしれません。
今後は、素直にいきていこうと思います。
ドッカーンになる前に、出していこうと思います。
溜める前に出す。これって大事。
地球と人間が連動しているのなら、これこそ地球のため。

A面からB面とは、よく言ったものだ。
すべてが反転していく世の中で、"いいもわるいも"反転していく。
結局、"いいもわるいも"は同時にあって、なくならない。
私はそこに逆らう気もない。
それが私なのだから。

そして、このタイミングだからいう。
ニノ、独立ということで、私は、二宮和也に一生ついていく所存です。
"山田太郎ものがたり"で観たときから、ずっとニノちゃんが好きだったので、これからも変わらず応援していくぞ、と。
(どんな終わり方だ)

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