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【1年ぶり2度目】31歳女、急性虫垂炎で緊急入院する。

あけましておめでとうございます。2024年とはなんという年なのかと、人一倍感受性豊かな私は、暗い気持ちでお正月を終え、それでも元気に1月4日からそこそこ満員の電車に揺られて仕事に勤しんでいたのだが。1月5日に、職場近くの総合病院にて急性虫垂炎の緊急手術を受けることになった。

いま読んでも臨場感に溢れていて我ながら面白い記事だと思っているのだが、まさか年イチの連載企画だったとは(?)。驚愕である。

実をいうと、11月中旬からじわじわと体調不良を感じていて、二週間おきぐらいのペースでちょこちょこ仕事を休んでいた。ただ、全て同じ症状があるわけでもなく、日常的によくある生理痛or腹痛or頭痛が少し酷くなる程度で、「疲れが溜まってきてるのかな〜」ぐらいに考えていた。ただ、いよいよぞっとしたのが12月の終わりに、下腹部に嫌な痛みを感じたことである。下腹部痛に加えて、吐き気や強い倦怠感。さすがにアレ(上記記事参照)の初期症状に近すぎると感じた私は、近所の泌尿器科に駆け込んだ。前回お世話になった病院は同じ区内とはいえ、電車やタクシーを使わないと行けない距離にあるので、結石再発予備軍としては近所に気軽に相談できる泌尿器科を作っておきたかったのである。そういうわけで初めて行った病院だったのだが、既往歴があると話もトントン拍子に進み、血液検査と腹部エコーで診てもらったが、腎臓の炎症反応は起きていないとのことだった。確かにその診察のときは痛みもだいぶ治まっており、気になっていたのが異常に強い倦怠感であったので、結石が詰まっているわけではないという診断には納得した。抗生剤と万が一のための痛み止めを出してもらい、近所に馴染みの泌尿器科をつくるという目的を果たせた私は嬉々として日常生活に戻った。しかし翌日、やはり解消しない倦怠感が気になり、なんとか出社したのだが、満員電車で気分が悪くなってしまい、出社してすぐ職場の救護室で休ませてもらい早退した。前日の泌尿器科で血液検査はしていなかったことがやや気になり、念のため内科にかけこんだのだが、そこでこれまでの症状を一通り説明したところ「倦怠感を感じるときは身体を休めるのが1番です」というありがたいお言葉をいただくことに(この病院はもう行かない)。心療内科へかかってるかどうかの確認をされ、少し気分を害した私だったが、確かに慢性的な疲れが取れていない自覚はあったし、転職してから10ヶ月、充実した生活を送れている自信はあるものの、楽しすぎて多少頑張りすぎているという自覚もあったので、まぁそういうものかとその後の休日は家族に協力してもらってひたすら寝て過ごした。

この泌尿器科→内科リレーを経て、「若干頑張りすぎているかもしれないので疲れたら無理しない」と心に決め、12月を乗り切り、念願の義実家帰省(義実家は据え膳上げ膳のため天国である)を果たし、年末年始を迎えたわけである。内科の医師のいうとおり、とりあえず休んだことで支障が出るほどの倦怠感は治まったものの、夕方〜夜にかけて強い疲労感がある日は多かった(腎臓の病気の定番症状)ので、そういうときはとにかくすぐに横になることを心がけた。リミッターを超えるとまた腎盂腎炎になってしまうだろうという見立てだったので、右の股関節あたりに詰まりを感じていたのも、前回結石ができる前に左の股関節に長らく違和感があったことと同じ症状だと思っていた。

1月5日(金)

出社する道中で、嫌な腹痛を感じ、妙に胸がざわついた。しかし、経理の月初は繁忙期なのである。気のせいだろうと出社し、仕事をこなしていく。ただ、願いも虚しく、どんどんと驚くほどの速さで気分が悪くなっていくのを感じた。これはアレ(尿管結石)だ、アレ(結石性腎盂腎炎)の再発に違いないと考え、すぐ夫に連絡をした。この時点で最悪入院の可能性を感じていたので、家族に連れ添ってもらった方がなにかと楽なのである。すばらしき経験則。なんせ一年前にアレ(痛みを5日間放置して敗血症寸前)を経験していた私は、次に痛くなったらすぐ病院にかけこむと決めていたので、動きは実にスムーズであった。夫に連絡をし、上司に相談をし、とりあえず前回お世話になった泌尿器科の病院に電話したところ、午後の診察が休みであるため、午前の診療時間に間に合うように来てもらえないと診れないといわれてしまった。診察時間は確認していたつもりだったが、年始ということもあり甘かったのか。タクシーですぐに向かってもギリギリの時間で、夫に付き添ってもらわない状態で移動するのが不安だった私は、いったんその病院を諦めることにして、とりあえず前回最初に入院した総合病院にかけこめばよいか、と考えていた。そう考えているうちにも、腹痛と吐き気がどんどん止まらなくなってくる。夫の迎えがくるまで再び職場の救護室で休ませてもらっていたものの、とにかくどうにか嘔吐を我慢することしか意識になかった。前回の腎盂腎炎でも最初は嘔吐から始まったので、完全に同じ症状だと信じて疑わなかった。

夫が到着し、職場のビルのエントランスまで降りたものの、まずは吐き気をなんとかしたいと1Fのトイレにこもった。自分では迅速に判断したと思っていたのに、まさか職場の最寄りから移動することすらできないとはと、助けを呼ぶこともできないトイレの中での絶望感は大きかった。この時点で夫は救急車を呼ぶことを提案してくれたが、私は職場の目の前に病院があることがわかっていたので、気合と根性でなんとかその病院まで歩いた。受付で「午後の診察は13時30分からですが大丈夫ですか」と言われたが、「とにかく痛いので横にならせてください」と早口で伝えると「看護師に伝えますね」と処置室のようなところに通してもらうことができた。急患のときの病院への駆け込み方が板についてきている。それからはあまりに痛みが強くなってきていて記憶も曖昧である。午後の診察時間になってから医師の診察があり、痛み止めを点滴してもらえて少し楽になった。診察中に嘔吐したのだが、しっかりと持っているビニール袋にそれはもうきれいに吐くことができた。嘔吐が嫌いで絶対に何も汚したくないという強い意志は、我が娘にも受け継がれていて、吐き方がまったく一緒だなと思いながら吐いていた。痛み止めの効いているすきに諸々の検査を終えたが、無慈悲にも効果が切れてきたころ、医師から「急性虫垂炎の疑いが強いと思います。手術が必要だが、ここではできないので、隣の病院に行ってもらいます」と言われた。

急性虫垂炎……???思っていた病気と違う名前を言われた私は呆然とした。ずっと腎盂腎炎だと思っていたし、病院でも結石をやったことがあるとひたすら説明してきたのだ。夫はこのあたりで、右側下腹部痛といえば盲腸なのに、どうして思い至らなかったんだと悔やんだらしい。私は完全に下腹部痛=腎盂腎炎になってしまっており、本当に1ミリも思いつかなかったので、妙に新鮮な気持ちで「な、なんだって~~!?」と驚いていた。思い込みって恐ろしいよね(前回の反省が活きなかった)。

とはいえお腹の痛みは酷いし、吐き気も治まらないし、この病院にいても治せるわけじゃないしということで、隣の病院への受け入れ準備が始まった。これが地味に時間がかかった記憶があり、この間に痛み止めは切れてつらいのにこの病院ではもう痛み止めを打ってくれないしで、このときの絶望感は先のトイレをやすやすと超えた。歩いて5分ぐらいの距離だけど到底歩けず、車椅子も病院外には貸せないとのことで、タクシーで移動することに。転院の準備の時間、タクシーを待つ時間、転院後の病院で受け入れてもらうまでの時間、とにかく時間がかかる。痛み止めなしでこの時間を乗り越えた私、すごいな・・・・・・。

新しい病院に移動してからは、またイチから検査が始まる(わかるけど、なんで?)。腹部エコー・尿検査・血液検査はさっきやったけどなァ!!と心の中で悪態をつきながら堪えた。こちらでは造影CTもした。前回も思ったけど、ただでさえ痛いのに息止めないといけない検査ってなんなんだろうね。とにかく痛いですと主張し続けていたら、途中で痛み止めを打ってくれたので意識はやや復活した。そうしてついに急性虫垂炎の診断が下ったのが17時半ごろ。職場を早退して夫と合流したのが13時頃だったので、随分時間が経っていたのに驚いたし、娘の保育園の迎えが迫っていることにも気づいて人知れず焦っていると、夫からその言伝があったようで「旦那さんがお子さんの迎えで18時半までしか居られないみたいで…」と大人たちがザワザワし始めていた。その後はトントン拍子に先生から虫垂炎の説明があり、腹腔鏡手術か抗生剤投薬かの選択を迫られ、さくっと手術を選び、19時からの手術が決定した。結石性腎盂腎炎のときは炎症が治まるまで手術はできないと言われていたので、今回は炎症が起きてるところをそんなすぐに切れるんだ!とスピード感の違いに驚いた。初めての手術、初めての全身麻酔。ちょっとテンションがあがる。18時半に慌ただしく夫と別れた。

術後すぐWi-Fiに喜ぶ私

全身麻酔ってどんな感じなんだろう…とドキドキしながら「眠くなる薬いれますね」という声を聞いた記憶はあるのだけど、その後すぐに「木村さん!木村さん!」と大きな声で揺すぶられて、起きたら手術が終わっていた。想定外のことはなく、順調だったんだなと思い、安堵した。医師に急性虫垂炎の手術の話をされた直後にようやく夫と話すことができたのだけど、その時点で夫はまだ知らされていなくて「腹膜炎とかじゃなくて本当に良かった」と心底ほっとした顔で言ってくれたのだが、たしかに私も逆の立場だったらいろいろな可能性を調べてとても正気ではいられないと思うので、年イチで急患に運ばれる妻を持つ夫に心から同情する。私はただただ横になっていれば手術や治療を受けさせてもらえるが、夫はその状態の妻をおいて保育園へ娘を迎えに行き、娘にことの経緯を伝え、いつもどおりに娘の世話をし、寝かしつけたあとは早退した分の仕事をしたというのだから、頭が上がらない。どうか夫が大きな病気にかかることがないようにと願うばかりである。

1月6日(土):術後1日目

結局術後の夜は尿管カテーテルと足のマッサージ器が気になって、朝5時頃まで眠れなかった。この時間に見に来てくれた看護師にマッサージ器がうるさいので外してほしいとお願いして外してもらったことで、少しだけうとうとできたという状況だ。そもそも数時間置きに検温と血圧検査があるので、初日は寝ないものなのかなと思うところもある。そしてもちろんお腹は痛い。手術翌日の午前中から歩くリハビリが始まると聞いていたので「正気か?」と思うところもあったが、とにかく立って歩けないと尿管カテーテルを外してもらえないので、どれだけ痛くても絶対に立つという強い気持ちで看護師を待った。結果、無事立ち上がって歩くことはでき(激痛)、無事にカテーテルが外されて喜んだのもつかの間、寝不足に身体が自由に動けないことがコラボしたのか、強烈な偏頭痛が始まる。ちなみにこの日は終日微熱があった。腹腔鏡手術は術後の回復が早いため、次の日から腸閉塞の予防もかねてとにかく歩くよういわれるのだが、私の場合偏頭痛の兼ね合いで動くことにだいぶ支障があったので、このあたりはなんとかならないもんかなと今でも思う。傷の痛みもあるので痛み止めは打ってもらえるが、なかなか頭痛が治まらずつらかった。

夕方ごろに夫と娘が荷物を持ってきてくれた。娘は少し緊張した面持ちで、私にそっと寄り添ってくれた。短い時間だったがとても嬉しかったし、退院に向けての気力が湧いてきた。娘は私と別れたあとのエレベーターで何度か泣いてしまい、同乗していた他のお見舞いの方からシールをいただいたらしい。優しい世界でよかった。

朝の血液検査の結果で特に問題がなかったので、昼食から病院食が出た。重湯からのスタート。重湯、おそらく初めて食べたのだが、本当においしくない。

1月7日(日):術後2日目&退院

はやくない?と思うだろう。私も思う。ただ、手術前から「早ければ明後日には退院できるよ」と聞いていたので即手術を選んだというのもある。前回の長い入院がとにかく大変だったので、一日でもはやく退院したいという気持ちはあったのだ。しかし、朝起きた瞬間にも痛みを感じながら「これで午前中に退院するの……?嘘でしょ……??」と震えていた。普通に寝返り打てないし、めっちゃ痛いんだが。血液検査も異常なく、抗生剤は朝イチの点滴が最後となった。ごはんも完食しているし、トイレも自分で行けているし、おそらく病院から見ると私は順調に回復している優良患者だったのだと思う。ベッドの柵を駆使して起き上がれるけど痛いし、動きはいつもの2割ほどのスピードしか出せない。もし今東京で震災が起きたらどうすればいいんだと本気で心配した。夫と娘が迎えに来てくれて11時には退院。車嫌いの娘に頼み込んでタクシーで自宅まで帰宅した。痛みを感じないときは元気なのに、少し動いて痛みを感じると何もできなくなってしまうのが申し訳なくなる。

1月8日(月):術後3日目

退院時に看護師に「痛みをコントロールしながら日常生活を送ってください」と言われた(日本語として破綻していると思う)ので、なるべく寝たきりにならないように生活しないといけない。ただ、寝返りも十分に打てないからか身体中がこわばっており、もうとにかくあちこちが痛い。右側の下腹部が痛い。右側のお腹をかばうからか右側の背面はガチガチ。さらに偏頭痛。不調のオンパレードであるが、いちばんつらかったのは肩の痛みだった。腹腔鏡手術は術中に炭酸ガスでお腹をふくらませるため、その炭酸ガスが抜けきれずしばらく身体の上部に痛みを感じることがあるらしい。私の場合、みぞおちあたりと右肩の痛みがとても強く、強めの肩こりと表現する人もいるが、右肩の関節がぐーっと押され続けているような、どうしたら解消されるのかわからない類の痛みがあった。これも痛み止めを飲むと若干和らぐのではあるが、動いた衝撃で痛い腹痛と比べて、何もしなくても痛いのが地味にしんどい。

1月9日(火)~11日(木):術後一週間

仕事は一週間休むことになったので、とにかく回復に向けて自宅療養生活を充実させることにした。日に日に良くなっているのは感じるが、木曜までは1日3回の痛み止めを欠かすことができないぐらいには痛みがあった。先に書いた肩の痛みに対しては体内のガスを出すことが最善策で、そのためにはとにかく歩くしかないという記事を読んだ私は、腹痛がだいぶ良くなってきた水曜から毎朝近所の大型公園で1時間ほど散歩をするようにした。これが気持ち的にも痛み的にもかなり良かったようで、肩の痛みは少しずつマシになってきた。とはいえ、どこかが痛くなくなると背中とか頭とか他の痛みが目立ってくるから油断はできないから、痛み止めは手放せないのだけど。

1月12日(金):本日

ここ1週間、いや、ここ1ヶ月以上、常にどこかに痛みや違和感をかかえている状態だったのだが、今日とても久しぶりにすっきりした気持ちで夕方を迎えている。5日に入院になったときは「せっかく年末年始を乗り越えたのに……」という気持ちはあったけど、「また緊急入院のnote書こう」とすぐ思うぐらいにはとどまることをしらない自分の自己顕示欲の強さに呆れたし、そんな自分がちょっとかわいく思えた。でも、両親に今回の手術のことを伝えたときに、母から「前回の記事を読んでいて、今年は何もなくてよかったなぁと涙ぐんでいたところだった」と言われて、なんともいえない情けなさを感じて、すこし落ち込んだ。こんな風に、周りの人を心配させたいわけじゃない。させたくないから、絶対に何かおかしいと思って、昨年末はいろんな病院に行ったり、できるだけ身体を休めたりしたのだ。今回のことでひとつだけ後悔があるのだが、それが昨年末にCTを撮らなかったことである。もし、CTまで撮っていれば虫垂炎になっているのがわかったかもしれない。ここまで痛い思いをしなくても、腹膜炎の心配をさせなくても、さくっと日帰り手術程度で済んだかもしれないという気持ちがどうしても拭いきれない。もちろん、たらればの話だとはわかっている。でも、私はとにかく痛みに強すぎるのがわかったから、昨年はどんな軽い症状でもすぐに病院に行ったし仕事も休んだ。あんなに体調に気を配った一年は初めてだった。なのに、年明け早々こんなことになってしまって、大切な人たちにまたたくさんの心配をかけて、もう、自分が本当に情けない。

でも、こうやってすぐ笑い話にしようとすることが、私なりの元気になったというメッセージなのである。この一週間は大変だったけど、ここ最近でいちばん体調が良くて、悪いものが落ちたんだなという妙な納得感がある。前回(前厄)は結石が落ちることで厄落としになったが、今回(本厄)は虫垂を切ることで厄落としになったっつーことで。

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