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絵本の原画展が好きだ。

学生の頃、教授が招待券をくれたので板橋区立美術館の『イタリア・ボローニャ国際絵本原画展』に行った。板美では毎年ボローニャで行われる絵本原画の国際コンクールの入選作品を展示している。素人の私からすれば「プロと限らない絵本作家の原画かぁ…」なんて生意気なことを思っていたのだけど、結局学生時代に何個も行った展覧会の中で、会場の雰囲気や感じたことを覚えている数少ないひとつとなっている。

それから、美術館の魅力を人に伝えるときに「実物の持つ力ってすごい」ということを話している。作品自体はカタログはもちろん、今の時代ならインターネットで検索すればすぐに見ることができる。でも、作者の息継ぎが見えるような筆使いだったり、絵の具の煌めき、素材の匂いとか、そういうものって実物の作品を目の前にするならではの経験だと、私は考えている。そういう経験が一番身近にできるのが、誰しもが子どもの頃に目にした絵本の原画展だと思うのだ。

そういうわけで、世田谷文学館で行われている『イラストレーター 安西水丸展』に行った。娘はつい先日立川プレイミュージアムのミッフィー展で美術館デビューしたばかりで、2回目の鑑賞となる。まぁ前回も今回も、大して見てはいないのだけど、

撮影OKだったので、馴染みのある安西水丸の絵を喜んで撮影していた。尊い。

特に会場で大きく印刷されていた『りんごりんごりんごりんごりんごりんご』の展示を気に入り、欲しいというので絵本も買った。絵本と展示を見比べながら「あれだ!」と教えてくれる彼女を見て、幸せな気持ちになった。

この1年半の間に『不要不急』な芸術を、どうやって守っていけばいいのかなと考える時間が増えた。それは、10年前にアートとデザインの面白さに触れて、創作者の才能はないと気付きながらも自分に何かできないかと一生懸命考えたことの再来で、もしかすると私の中で定期的にブームになるだけなのかもしれないし、もしかすると私が一生をかけて向き合っていくテーマなのかもしれない。面白いのは、私は一度就職するときにアートを諦めた人間で、それからほとんど自主的に勉強することも、美術館に行くことすらなくなって生きてきたというのに、今改めてそれに向き合ったとき、10年前に考えたことをほぼ同じ順序で思考を辿って、「あのときの私、結構いいこと考えてたじゃん」と思っているのである。私はもともと自己評価が高い人間なので、自分が考えていたことを肯定できるだけなのかもしれないし、そもそもそんなに考え方が変わっていないだけかもしれない。でも、あのときも未熟な頭で一生懸命考えていた「社会にはクリエイティビティが必要なはず」「アートを継続させるためにはお金のセンスがなくちゃいけない」「芸術文化を根付かせるために文化政策が重要」「子どもの頃から美術鑑賞教育に馴染むべき」「絵本の原画展が一番身近に芸術の魅力を伝えられる」などが、10年経って改めて目の前に降りてきて、これをやるべきだと思えるのはなんというか使命を感じずにはいられない。この10年で出来るようになったことなんてたかが知れてはいるけれど、でも、あの頃より出来ることがあるはず。少なくとも、私は未来を夢見ていないと生きていけない人間なので、今を生きたいと思うなら、前を見るべきなのである。そんなことを最近考えています。

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