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報われない努力に関するもやもや。

資格取得というのがわりと好きである。努力が可視化される気がするから。

具合悪いからそう思えるのかもしれないけど、「努力をちゃんと評価された」と思える経験が、あんまり無い。

小学校の頃から不登校だから、そんなに勉強はできなかった。
嫌いではなかったのだけれど、計算ミスがものすごく多く、漢字もぜんっぜん書けなかった。
よって、「あんまり勉強できない子」とみなされていた。

中学生の頃、学校の代わりに図書館へ通った。
大量に本を読んだ。小説も、専門書も。
宗教学にハマって、世界の神話から風俗から神道の成立からケルトのアニミズムから、とにかく読み漁った。
でも、そんな知識だれひとりとして、興味を持って聞いてくれる人はいなかった。

高校のとき自由を感じたのは、アルバイトができるようになったから。
働いたら働いた分だけ仕事を覚えられる。できることが増えて、お給料も貰える。
すごくすごく、嬉しかった。

学校でも勉強を頑張った。
妹が小さかったから、隣であやしながら勉強した。
集中して勉強する時間が確保できなかったから、朝4時くらいには起きて、通学前に机に向かった。
でも相変わらず、できない教科が足を引っ張って、成績はいまいち伸びなかった。
世界史はいつも、ほぼ満点だったのに。英語だって、高得点をキープしてたのに。

学費が足りないから、留学することになった。
高校留学は奨学金が出る。
通ってた私立高校の学費より、留学して単位を取った方が安くつく。

私立大へ進学する経済的余裕は無い。
留学すれば、AO入試という選択が出てくる。もしかしたら、留学先で宗教学のレポートができれば、公立大を受験できるかもしれない。
そう思って留学を決めた。妹も心配だったし、海外は怖いし、日本の宗教について、もっと知りたかったのだけれど。

留学は過酷だった。
でも、帰ってくると、色んな人から羨ましがられた。
大変だったと言っても、あまり聞いて貰えなかった。
なぜか、私じゃなく母が褒められていた。

「留学に行かせて貰えるなんて、素晴らしい親御さんね」って。
書類もビザも、ぜんぶ私一人で準備したんだけど。
辞書とにらめっこして英文の書類を書いた。真夏の東京へ、ビザを取りに行った。奨学金で足りないお金は、10年以上会っていない父親に借りた。
ぜんぶ一人で。わたし一人で。
だれもそんな話、聞いてくれない。

公立大学なんて無理だと言われた。
合格して、褒めてくれたのはたった2人。
数回しかあったことの無い父の友人。そして父。
学校の先生は、気まずそうにしていた。たぶん、無理だって思い切り言ってしまったから。
母は「私が娘をサポートしたから受かったの!」と周囲に言いまくっていた。私も頑張ったんだけどなあ。

大学で勉強をしていると、「真面目だね」って笑われた。
サークルでお金が無いと言うと、「みんな無いんだよ」と言われた。
フィールドワークへ行きたかったけど、そんな余裕無かった。
頑張ったわりに結局どれも中途半端で、そのうちに感情が消えていった。

何よりも、自立して生活したかった。
働くことも好きだった。

でも、卒業後は入院し、ひとりで生計を立てられなくなった。
母が何度も離婚していたから、男には頼りたくなかった。
名字を変えるのも、もうこりごりだった。
けれど生活保護を受けるエネルギーも無くて、結婚という手段を選んでしまった。
手続きも楽だし、聞こえもいいから。

結婚後も、収入がそんなにある訳でもないから、パートで働こうとした。
実用性をと思ってずっと身につけてきたひとつが、語学だった。
語学講師に採用された。
けれど、授業の準備や学生のサポートを頑張りすぎて、心身ともに悪化させる羽目になってしまった。

しばらく、語学や国際関係のこととは距離を置くようにした。
張り切りすぎて自爆するから。

少し回復してきて、身体の大切さが身にしみた。
踊るのが好きだと気づいた。
ZUMBAのインストラクター資格を取ったけれど、資格の更新には会員登録と月会費が必要らしい。
ランクアップには、東京の講習が必要らしい。
そんなお金は無い。

とりあえず身体の勉強をしようと思った。
運良くフィットネスジムの求人を見つけた。
解剖学の医学書を買って、東洋医学の本を図書館で借りて、職場では先輩に色々と聞いた。
でも、家のトラブルで体調を崩し、しばらく休んだら、辞めさせられることになった。

報われない。
なんて報われないんだ。
こんなに努力しているのに。

そうはいっても、今は障害者雇用で働けるようになったし、ずいぶんマシになったのだと思う。
でも、まだ色々と、モヤモヤしてしまう。

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