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黒い感情に人はなんと名前をつけるのでしょう。
嫉妬、愛、嫌悪、恐怖、卑小感。

自分が喉から手が出る欲しいものを、手に入れられないものを、人が楽しそうに掴む姿を祝えない私たちはなんて小さな人間なのでしょう。愛を受け入れられないのでしょう。

自然が一朝一夕でできないように、手に入れたいものが簡単に手に入らないことも苦しいほどわかっているはずなのに。なのに私は自分の部屋に鍵をかけ、外に出る精神的努力も肉体的努力もせずになにかをしないことの言い訳ばかり見つけているのです。この年ですでに変わるのが怖いのならば10年後の変化はどれほど怖いことでしょう。

私たちは時にとても醜いと思うのです。醜さを美しく表現すれば人々は息を呑んでくれるでしょうか。手に入らないものを、くしに絡み付いた毛を見つめながら嗜めました。手に入らないもの一つ一つを苦い薬を飲み込むようにゆっくりと流し込みました。苦くて、涙が出ました。出た涙は何のためでしょう。私のためでしょうか。私をせせら笑うもう一人の私の涙でしょうか。美しいものが醜いように、醜いものも美しいと思うのです。物事は表裏一体だよ、と人に伝えるのは、慰めるのは、愛するのは私の役割のはずなのに、私は今その言葉が聞きたいです。

そのままでいいよ、と言ってくれる人々へ。私はあなたになりたいのです。醜いアヒルのダンスです。白鳥になりたいのです。教えてください。どうあがけばいいのでしょう。

息を呑みました。清流が私の中の濁流と入り混じって少しずつ黒の表面積が消えていきました。息を吐きました。濁流がたくさん私の中から出ていって、文字になりました。苦しさを撒き散らして、飛びました。あなたになりたい、彼になりたい、これになりたい、愛したい、愛せない。心が渦巻いて、この濁流に気管は狭すぎて息も少しずつしか吐けません。

あがきかたを、教えてください。浄化の仕方を教えてください。神はニーチェが殺しました。濁流の出し方を、付き合い方を、浄化のひぃふぅみぃを与えてください。

浄化がこんなに簡単だったらいいのにと思います。祈るだけで、乞うだけで、与えられるのならばいくらでも物を乞いましょう。いくらでも罪を犯しましょう。なぜいつまで経っても罪は徳よりも犯しやすいのでしょう。おかしな話です。

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