とんかつ屋でご飯セットを頼むおじいちゃんの話

私はとんかつ屋で働いていた事がある。とんかつ屋と言ってもいわゆる下町にある和気藹々としたとんかつ屋では無い。油が好きそうな芸能人がたまに顔を出す、店内の席の九割がカウンターのとんかつ屋だ。もちろん、客層は限られてくる。高そうなスーツに身を包んだ男の人とか、清潔感のある綺麗なお姉さんとか、なんだか高そうなスウェットにハイブランドの紙袋片手の港区カップルとか、髪色が明るいマダムと少しいけてるおじさんとか、、、まぁそういう客層だ。お会計の際にチラッと見えるルイヴィトンの財布にも慣れた。

そんな店でのバイトが実は好きだったりする。一緒に働く人がいいからとかではなく(もちろん店員さんも他のアルバイトの人も優しいのだけれど)、日本の富裕層の生活や会話を覗き見できるからだ。その人たちの日常に映る私はありんこ以下だろうけれど、その人たちの食事風景は私にとっては無料映画なのだ。こんな楽しいことはない。

ある日のランチシフトの事である。一人のおじいさんが来店された。大体この店にくる60〜80代の男の人は、分厚い、夏には少し暑そうなスーツをまとって、毛量の少ない髪にワックスをかけ、脂汗を滲ませている。大体一番脂ののったカツ定食を頼み、少し残して会計をされる。何はともあれ、そのおじいさんに御通しを出しに表へ出るとどうやらその人はその店でよくくる60〜80代男性客とは一味違うのである。そのおじいさんは、青い交通整理の制服を纏い、卓上の警棒とヘルメットに目も触れず小さく背中を曲げてメニューを見つめていた。どうやら普通の民衆的とんかつ屋と思って足を踏み入れられたらしいその人は、整然と並ぶカウンター席の一番奥で縮こまりながらも、図らずして周囲から浮いていた。

全く異なる社会層の中に一人交通整備のおじいさんが居るだけでこんなにも違和感があるのか、と驚いた。店から出て少しの所にある大きな交差点に立てば一瞬で風景の一部になってしまうであろうその人は、店の中ではどうしようもなく異質だった。惨めにすら見えたのである。

しかし矛盾だろうか。御通しをお出ししながら私は少し嬉しかった。その人が食べるであろうカツは私が作るわけではないけれど、その日の昼に来店された他のお客様の誰よりも汗をかいたであろうその人のご褒美を自分がお出しできる事がどうしようもなく嬉しかった。メニューをじーっと見つめるその小さな背中に「ごゆっくりどうぞ」と声をかけながら、なんだか初めてデートに行く娘を見送る母のような気分に陥った。裏に戻りながら、できる限りのサービスをこの方にしよう、と心に誓った。

10分ほどたっただろうか。その人からの注文はまだ入っていなかった。「○○番さんオーダーまだ?」他の店員さんに急かされ、私は注文をとりに行った。「ご注文はお決まりですか?」

メニュー表をジーっと見つめていた彼は弱々しい覇気と共に言った「今日おかねもってきてないからこのご飯セットでいいや。」「他のはちょっと高い」とぼそっと。

*ご飯セットは、他のとんかつセットについてくる豚汁とご飯のセットだ。いわばサイドメニュー中のサイドメニュー。サゼリアに行ってライスとスープバーだけ頼むみたいなものである。

「かしこまりました」と言って裏に戻りながら私はさっきまでの浮ついた自分がどうしようもなく恨めしかった。そのおじいさんは、自分へのご褒美のつもりで入ったわけではなかったのかもしれない。または本当に自分へのご褒美として高そうなとんかつ屋に入ってお金が足りなかっただけかもしれない。さして私が気に留める事でもない。自分がそのおじいさんに何ができる立場でも、同情する立場でもないのは承知だ。そもそも少し普段行く店と客層が違う所にこられただけで、そのおじいちゃんは惨めでなんてないはずだ。

しかし、会計時に「いやー、安いな」と呟く他の客が適当に頼むそのとんかつ定食がおじいさんの目にはどう映ったのだろうと想像するだけで心臓がキュっと締め付けられた。豚汁とご飯をねこまんまにして食べるその方の曲がった背中がどうしようもなく私を悲しくさせた。

結局その人は、ご飯も半分ほど残してお会計をされた。会計トレイの上にのった500円玉に歪存在感を覚えたのおぼえている。

この話には結論も、結末も、学びもない。別に貧富の差だの社会問題だのにつなげる気も皆目ない。ただ私はあのおじいちゃんに、もう一度堂々と2000円ほど握って店に帰ってきて欲しい。そして定食を美味しそうに頬張って欲しいなと思うのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?