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自分とリンクする

コロナだからできないことが多い。規制ばかりで息が詰まる。

確かに。でもコロナだからできたこと、コロナ禍で選んだことは私の人生の軌道で大きくハンドルを切って今私は過去の自分と一味違う未来をみている。「自分がどうなるか」と考えていた私は今「自分はどうするか」を考えている。それは立ち止まった自分を見つめ直す機会が格段に増えたからだ。そしていつもの日常を今まで以上に噛み締めることができるようになったからだ。この変化には二段階ある。周りの変化と自身の変化。まず環境が変わる。そしてそれに自身がどのように適応するかで自身に対する最終的な変化が定まる。コロナで環境が変わった。そして私が変わった。個人差はあるだろうが、どうやらコロナ禍の変化はプラスでしかなかったようだ。2020年、コロナが社会に影を落とし、私の環境は:

1)行動範囲が狭くなった 2)外出する時間が減った 3)人とリアルで会う機会が減った。

悪いことばかりじゃん?と思うが、こう反転させてみる。

1)より深い関係を環境と築けるようになった 2)meタイムが増えた 3)他人の影響を受けにくくなった

わかりにくいと思うので少し解説すると、、。まず

1)行動範囲が狭くなると、環境との密度があがる。家とカフェとの往復じゃなくて家だけにいるようになる。そうすると今まで気づかなかった小さなことに気づく。「窓からみる夕日ってじつはこんなに綺麗なんだ」とか。同時に家がただの寝るだけの場所じゃなくなるから他の生活要素が欲しくなる。「植物おいてみよう」とか、「絵を書いてみよう」とか。同時に近所とのリンクも濃くなる。私は謹慎期間中まで徒歩距離にホテルがあることをしらなかった。ましてやそのホテルが屋外開放中の休憩スペースがあることなんてしらなかった。そしてその休憩スペースがめちゃくちゃ自分好みであることなんてこれっぽっちも知らなかった。そうしてより深く自分の近所を知ることになる。「新しく海側が開発されてなんかおしゃれなホテルできたんだな。住民の層ももっとお金持ちの層に変わりそうだな」とか。

2)外出する時間が減ると、家の中で、世界で一番自分色が強い場所で生活することになる。自分をなんだか俯瞰でみれるようになって自分がより濃くみえてくる。「あー、私ってこの色好きなんだ。」とか。生活品っていう第三者(?)を通して自分が見える。

3)私の中で多分これが一番大きかった。人と会う、社会にくりだすと言うことは、総体的に「他」との交流である。コロナ禍で気づいたことだけれど、人はすごく小さな事柄まで他人に翻弄される。人のさりげない視線とか、友達が軽くいう「〇〇ってなんかださくない?」とかでつくりあげられていく自己に私たちはあまり気づいていない。コロナ禍で(まあ時間ができたっていうのもあると思うけれど)、私の服は大きく変わった。前はすこし躊躇したようなものも買うようになったり、自分の直感を信じて買ったものが意外と評判よかったりとか。他人から距離を置くことで社会に影響されない自己が少し見えた。

1~3に共通することは、全て「より深くリンクできる」ということ。それは自分の環境だったり、自分自身だったりする。忙殺されていた毎日や人の意見で曇っていた自影:そんなものから開放されることで今までこんがらがっていた系玉を解くことができた気がする。

コロナが最初に発見されてからもう一年以上経つけれど、私は2020年が意外と好きだった。今までずっと波に流されていた自分がやっと歩を止めて、考えて、今度は潮向きを探って波に乗ろうとしている。あと社会の化けの皮が剥がれたかなという印象もある。これは別の時にまとめたいけれど、コロナっていう刺激物が放り込まれたことで社会のさまざまな側面がテストされたのだ。それをみれたのは大きいなと思う。

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