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こおるかもの読書全史

この記事では、多い時で年間100冊以上読書をするぼくの、これまでの人生の読書遍歴をお話したいと思います。

自分の人生を形作ってくれた多くの本たちをここにご紹介することで、ぼくの自己紹介も兼ねることができればと考えています。

それではさっそくどうぞ。

読書を始めたきっかけ

ぼくは小さい頃はほとんど本を読まない、ただの野球少年でした。高校までスポーツを続けて、部活の卒業と同時に少しづつ本を読むようになりました。

最初にハマったのは東野圭吾さんのミステリー小説です。自分が理系だったこともあって、科学的なトリックをロジカルに解決していくストーリーが自然と自分の思考回路にフィットしていた気がします。

東野圭吾さんの本のなかで一番好きな本はこちらです。

小説ながら、「ひとはここまで『悪意』を持つことができるのか」と身震いしました。ネタバレ厳禁なので内容には一切触れられませんが、ぜひ読んでみてください!

ただ、大学生になり、その時までに出版されていたほぼすべての東野作品を読み終えてしまうと、しばらく読書がご無沙汰になってしまいます。

そして20歳になった頃、ぼくはいろいろなことで悩み、人間関係で傷つき・傷つけ、自分の殻に閉じこもり、学校や家族と関係を断絶する生活を一年ほど送ることになりました。(別に逮捕とかされたわけではないけれど笑)

ほとんどの時間を一人きりで過ごすなかで、自分の運命を変える一冊の本に出会います。

それがこちらです。

この本、内容を説明するのが大変ですが、著者はアメリカ在住の、哲学とキリスト教の神学を専門に学ばれた上沼さんという方です。この本では、キリスト教で語られる「父(神)と子(キリスト)の関係」を軸に、現実の父子関係(メタファーとしての社会構造も含む)をモチーフにした様々な小説や西洋哲学を引き合いに出しながら、一方で現実に横たわる厄介な筆者自身の父と子の関係に悩む姿を描写していく、そんな内容になっています。

その中で紹介され、ぼくが初めて知った幾人かの小説家と哲学者が、ぼくの読書人生の核となっていきます。

その一人目は、村上春樹です。

もうぼくの読書人生は村上春樹とともにあります。村上春樹と「父と子」といえば、そうです、「海辺のカフカ」です。ぼくは海辺のカフカから村上春樹を読み始めて、その物語の力に、今日まで圧倒され続けています。

村上春樹の何がそんなに面白いのか?とよく聞かれるので、自分なりのひとつの考えを端的に記しておきます。

ぼくにとって、村上春樹作品の一番好きなところは、「結論がない」ことです。唐突にあまりにも理不尽なことが起きて、タネも仕掛も明かされず、科学もロジックも踏み越えていきます。そして最後まで真実も判明せず、どんでん返しのクライマックスもなければ、明日から使える人生の教訓めいたものもない。

でも、それが人生じゃないか?と思うのです。

もやもやとしたものをもやもやとしたまま受け止める。答えを探すことよりも大事なこと、それは答えがなくても踏み出せる一歩があるということ。

そう気づけた時、当時の自分の人生の悩み事にも、すっと一筋の光が指したような気がしました。決して解決はしていないけれど、それを静かに受け止めて前に進もう、そう思えたのが村上春樹作品でした。

それ以降、すっかりハルキスト(村上さんの言い方によれば「村上春樹主義者」)になったぼくは、おそらく出版されているすべての作品と、翻訳作品作品(実は村上春樹は翻訳家として膨大な数の欧米の小説を翻訳しています)を読んでいます。

このブログでも、折に触れて村上春樹の魅力をたっぷりと語っていきたいと思います。

そしてもう一人だけ、先に挙げた本の中でぼくの人生を変えた人を紹介します。それは、エマニュエル・レヴィナスというユダヤ人の哲学者です。

彼は20世紀哲学の一大ムーブメントであった実存主義、ひいては西洋哲学の根本を問い直した哲学者で、あまりにも難解なその論理から、現在でも評価が分かれるようですが、日本では作家の内田樹さんによって広く紹介され、人気の哲学者の一人です。

そんな彼の著作の中で、最も有名で難解なのがこちら。

正直ぼくもすべてを理解できたとは全く言えないのですが、彼の核となる考え方を僕なりに完結にお伝えしたいと思います。

レヴィナスの哲学は、それまでの近代哲学がデカルト以来前提とし続けてきたこと、「我思う、ゆえに我あり」というような、考える主体(理性的で健康的な人間)を中心とした哲学を問い直し、人間とは壊れやすく、暗闇や絶望の中に「ただある」という空虚な状態から、なんとか輪郭を立ち上がらせていくことでしか自分を保てない、そんな弱い存在だと論じます。

それは、ユダヤ人であるレヴィナスが、20世紀のユダヤ人大虐殺(ホロコースト)を生き延びた経験から発せられる、絶望の縁からの叫びとも受け取ることもできます。

そしてそこから進んで、そのような弱い人間にとって主体性とは、自分自身にその根源があるのではなく、「絶対的な他者」が自分の周りに押し寄せることで自分の輪郭、つまり主体性が形作られると論じます。つまり、「徹底的に他者を中心に据えた哲学」ということです。

そして最後に、そのような「他者」からの、絶対的で、理不尽で、時に意味を解せない問いかけに迫られることが「人間の責任」であるとして、それをレヴィナスは「無限責任」と表現します。これが、ホロコースト以後の世界で、それでも生きることの中に意味を見出そうとした、レヴィナスにとっての一筋の光であったのです。

ぼくはこのような哲学から、先程の村上春樹とも通じるものを感じました。そして、自分を中心に据えた人生から転換し、世界の片隅のほんの一部である自分が、いかに自分なりの責任を引き受けてそれを全うするか、という大きな世界観の中に身を置くことができました。そのことによって、すごく気持ちが楽になったと同時に、より一生懸命に生きて、この人生を全うしようという情熱も生まれました。

このようにして、20歳の読書体験以来、元気を取り戻し、ぼくは読書の虫となっていくのでした。もちろん、学校や家族との関わりもある程度回復していきました。

それからの読書歴

それからは、特別忙しい時期を除いて、およそ週に2冊くらいのペースで本を読んでいきました。村上春樹作品をほぼすべて読み終えてしまったあとは、ドストエフスキー、フランツ・カフカ、ヘルマン・ヘッセ、ポール・オースター、カズオ・イシグロ、日本の作家では、夏目漱石、遠藤周作、安部公房、などを読んでいます。

社会人になると、小説よりも哲学や宗教学に寄っていき、作家さんとしては内田樹さんや佐藤優さんにハマり、そこからキリスト教神学や宗教学、西洋哲学、倫理学の専門書を読むようになりました。好きな哲学者はジョン・ロック、ジャン・カルヴァン、ハンス・ヨナス、マイケル・サンデルなどです。

最後に、ここ数年で読んだ本のうち、感涙するほど読んでよかった本を3冊だけ紹介したいと思います。

ここ数年の読書体験ベスト3

その1:「他者」の倫理学 レヴィナス、親鸞、そして宇野弘蔵を読む
青木孝平

ひとこと:
「親鸞」「マルクス」「レヴィナス」もしこの3人の哲学者を一本の線でつなぐとしたら?そんな無謀にも思える試みから、自我と他者の関係を鋭く考察していく斬新な書。親鸞による大乗仏教の「南無阿弥陀仏」の教えが、現代の資本主義社会におけるマルクスの「労働力の商品化」によって支えられている経済原理への絶対的帰依に通じていること、そしてそのような外部性のない経済活動への還元主義が、「全体性」を生み出し、他者を排除し、外部など存在しないかのように振る舞う人間存在の本質を批判するレヴィナスによる現象学批判へと、するすると繋がっていく。日本の仏教史、マルクス経済学、そして現象学の枠組みをまとめて学べるという点で、勉強にも最適な一冊。

その2:デカルトからベイトソンへー世界の再魔術化
モリスバーマン著、柴田元幸訳

ひとこと:
近代の西洋人がデカルト・ベーコン的発想のもとに推し進めてきた「脱魔術化」、つまり、人間と自然を区別し、精神と身体を区別していくように、自分と世界、主体と客体を隔てるようなあり方が、現代科学を推し進めてきたことに異論はない。しかし、そのような区別を通じて、色あせていった人間の「知のあり方」に、今見直すべき価値はないのであろうか。本書では、中世までは当たり前のように存在した霊的な存在や、錬金術などに見られる人間と自然の関わりにおいて、人間の知的体験がいかに「隠喩的」「演劇的」「肉体的」で世界と一体化したものであったかを、ユングの心理学などを足がかりに考察していく。現代特有のスピリチュアルブームや精神病への解決の糸口をここに見出すことができるかもしれない。

その3:キリストの模範ーペラギウス神学における神の義とパイデイア
著者:山田望

ひとこと:
かつての古代ローマ教父時代に、「あなたのできる限りのことを果たしたならば、あなたはすべてを果たしたのである」と述べた神学者、ペラギウス。アウグスティヌスによって「功績主義」のレッテルを貼られ異端とされ排斥された彼の神学は、当時の腐敗したローマのキリスト教社会を正すため、「神の恵みに対する人間の自発的応答」を強調したものであり、決して当時の伝統的な解釈を踏み抜いたものではなかったことを、著者は力説する。本書はペラギウスに関して、日本語で読める学術的なほぼ唯一の書物であると言って良い。そして、個人的な改心体験を元にした、主観的で厭世的な視座を持つアウグスティヌス神学が、なぜ古代から現代まで、一貫して「正統」であり続けるのか、キリスト教社会へ難題を突きつける。

最後に

いかがでしたでしょうか?これでぼくの読書遍歴のお話を終えたいと思います。だいたいぼくがどんな人間かということの一端も垣間見えたのではないかと思います。

そんなぼくの読書ノートを、今後少しづつこのブログで公開していきたいと思います。かなり内容が濃くなっていくと思いますので、上記にでてきたような作家やテーマに関心のある方はぜひ楽しみにお待ち下さいませ。コメントもいただければより励みになります。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。



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