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「平等」と「公平」と社会保険制度 #0169/1000

今日は、昨日公開の荒木博行さんのVoicy、スプツニ子!さんゲスト回を聞き、「平等」と「公平」の違いと現実問題が気になっています。
https://voicy.jp/embed/channel/794/379453

コトバンクによると、それぞれの言葉の意味は以下のとおり。

「平等」個人間に、あるいは集団間に、なんらの差別もない状態をいう。たとえば、法の下の平等、両性の平等、国家間の平等などがその例。

「公平」すべてのものを同じように扱うこと。判断や処理などが、かたよっていないこと。また、そのさま。「公平を期する」「公平な判定」

Twitterでは「平等」「公平」の違いが一目でわかるこんな図が広まりました。

野球をみるために同じ高さの箱を与えるのが平等。
ひとりひとりが野球を見られるように必要なものを与えるのが公平。

スプツニ子!さんは、Voicyでこんなことを言っていました。

「健康経営」の主な施策は、メタボ対策や禁煙対策。そのふたつとも対象はほとんどが男性なのに、女性の生理や更年期への配慮について取り上げようとすると「女性ばかり」となる。

女性活躍は逆差別、という人もいるが、社会の構造、会社の構造に偏りがあるのに、偏りのなかで「平等、平等」といっても公平な状態ではない

いってみれば、Twitterの図のように、自分は大人で背丈があり塀ごしに野球を見るための条件に恵まれているために、他の人もそうだろうと当たり前に思い込み、それならば他の人に与えられるものは自分にも与えられるべき、と思う人が多いということ。

それは女性問題だけではなく、あらゆる「違い」にまとわりついている問題だと思います。

そして難しいのは、国の施策には、「平等」も「公平」も重要だということ。

例えば、今日も私は図書館に行きましたが、図書館で本を借りる権利は「平等」です。個々人の事情で冊数が変わったりはしません。

また、法律も「平等」です。その人が何者かによって対応が恣意的に変わるようであれば、それは法治国家ではありません。

ですが、人はみな、家庭の状況も、かせぐ力も、個々に違います。

それをなるべく「公平」に近づけてくれるのが、税金と社会保険の仕組みです。

税金は、その人の担税力(税を負担できる能力)に応じて、高くなったり低くなったりし、なるべく「公平」になるよう、国によって低所得者層に手厚く再配分されます。

また、健康な人はめったに病院にいかなくても、健康保険料をおさめますが、そのおかげで、病気にかかりがちな人は、3割の自己負担で病院にかかれます。

家族でいちばん収入のある会社員(厚生年金保険料をたくさん払っている人)がとつぜん亡くなってしまった場合は、遺された家族に遺族年金がでたりもします。

収入や家族の状況などは明らかに違いがわかるものなので、それを「差別だ」という人はほとんどいないと思います。

ですが、見えにくいもの、特に自分にとって当たり前にあるものについては、私たちは無自覚です。

最近、「Equity」という概念がダイバーシティ&インクルージョンに加わり、「ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン」と表現されるようになってきたそうです。

こういう流れには、欧米の、「差別をなくし平等にするだけでは解決することが難しいような、社会構造的な不平等があると認識されてきたことが大きな背景」だといいます。

「生まれもった環境など、スタートの時点で既に不公平が存在している状況では、機会(用意する台)を平等にしたとしても、結果として不平等が解決されることにはならないのです」とも。

つまり、まずは「社会構造的な不平等がある」「スタート時点ですでに不公平が存在している」と認識するところが出発点なのです。

一方、日本では、「一億総中流」という言葉に代表されるように、皆当たり前に同じ、という感覚が漫然とあります。

ですが、社会構造的な不平等は、日本でもやはりそこに「ある」のです。

「平等」であるべきもの、「公平」であるべきもの。

前提としての「違い」を見逃さないように、個々に判断していけば、より過ごしやすい世の中にしていけるように思います。

税金と社会保険は、そのひとつの方法。

だからこそ、困っている人で、まだそうした制度を利用できていない人を、ひとりでも少なくするためにできることを考えたいと思います。

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