あちらこちらで耳にし、「きっとなかなか味わえない身体感覚が得られる」となぜか確信に近い予感をもっていました。
その予感が大当たりでした。
言われるまで気が付かなかったのに、言われると「ある」のを身体的に感じる。
そんな表現に満ちあふれていて、読みながら、自分の体の感覚と対話していました。
「足を三角に回す」「不器用になったつもり」という指示を受けた時はよくわからなくても、やっていくうちに自分の身体の動きの問題の原因に気づき、できるようになる。
そんな不思議な体験をした著者が、そんな自分の体験と達人の話の傾聴から、人が熟達していくプロセスを構築して眼の前に広げて見せてくれる、その理解の濃密さ。
どんなことも、遊→型→観→心→空という流れで熟達していくのではないか、というアイデアの裏には、膨大な著者自身のなかでの対話があることが、読むと伝わってきます。
そのうち、私が考えさせられたのは、会社の組織を連想する表現群です。
私の会社は、定期的にローテーションがなく、ずっと同じ人がやっている業務が多い状態です。
それがなぜよくないのか、理由を示す表現をこの本からもらいました。
失敗しなくなればそれ以上大きく成長していくことはできない。計画通りに学んでいく世界は、どこかで限界が来るからだ。(「遊」)
遊びがなければ、目的に向けて一直線に正しいことをやろうとする。(中略)遊びという揺らぎを内側に抱えることで、新しい展開を生む状態でい続けられる。(「遊」)
特に組織の場合は顕著だ。個人の癖が組織に組み込まれ、逆に組織の癖に個人が組み込まれる。長い間同じ組織で過ごしているとその組織以外に適応することがとても難しくなるが、それは組織の癖に個人が組み込まれてしまっているために起きる。(「型」)
人間は一つのことに常時取り組んでいると、客観的に見ることができなくなり、いつの間にか局所にこだわってしまうものだ(「観」)
自分を知るために人に会えと言われるのは、違う価値観を知ることで自分をより捉えやすくなるからだ。ずっと同じ文化の中に身を置いていると自己評価に偏りが出る。(「心」)
・失敗が起こりにくく膠着しており新しい展開を生む揺らぎがないこと
・組織の癖に個人が組み込まれて一体化してしまっていること
・対象が客観的に見られる局所にこだわりがちであること
・自己評価に偏りがでること
どれも、業務引継ぎがない今の自組織にあてはまる内容です。
逆にローテーションや組織メンバーの入れ替えをある程度定期的に行い、引き継ぎを起こせば、失敗のリスクはありますが、成長、熟達の機会も生み出せるということです。
引き継ぎ論として、試してみたいと思います。
また、本書には、以下部分もしびれました。
スポーツにおいてコーチは「提案させるが採用しない」「意見を言わせるが聞かない」ことを繰り返すと、選手は提案も意見も言わなくなる。やっても無駄だと学習するからだ。
だから、人が主体的に行動するようになるには、やれば変わったという原体験が必要となる。
私たちはくっきりとした輪郭のだれにとっても同じ意味をもつ言葉をやりとりしているのではなく、近似のイメージを引き起こすきっかけをやりとりしているのに過ぎない。
特にこちら。
それしか見えなくなっている時に、ふとこれがだめでもいいじゃないかと冷静になれる、もう一つの見方が必要なのだ。
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか 』でも提示されていた、「全身全霊をやめ、半身でいく」やり方が、実は、熟達にも道をひらくのかもしれません。
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