【美術展】モネ〜連作の情景(上野の森美術館)0591/1000
本日、娘とともにモネ展に行ってきました。
いつもは「早く行かないと終わってしまう」と焦りつつ会期終盤にいくパターンが多いのですが、今回は娘が「行きたい」といってくれたので、早めに行くことができました。
会期早めとはいえ、さすがはモネ。
当日券は、今日17:00段階で18:30のものの配布の人気ぶり。
ですが、事前に時間指定券をオンラインで買っておけば並ばずに入れます。
ただしグッズショップはすごい列。
スヌーピーとのコラボほか魅力的な商品が多いので仕方がないところかもしれません。
私は図録が欲しかったのですが、オンラインや銀座蔦屋書店でも売っているようなので、そちらで購入することにしました。
今日感じたことを、大きくふたつ、記してみます。
1.「見る」ことの、違う点と共通点の面白さ
モネの「見る目」、そしてそれを表現する力はずば抜けています。
だからこそ、こうしてたくさんの人がモネの絵を見にやってくる訳ですが。
今回、モネの魅力のひとつは、私たちにモネの視覚という眼鏡をかけさせてくれ、主体的に絵を見させてくれるからかもしれない、と思いました。
私たちがモネは何を描いているんだろうとモネの視覚を想像しながら見つめることで、自分の脳内にその風景が混ざりこむ。
そして、まるでその場にいるかのような感覚になる……
写真はリアルすぎて、画面の向こうの世界をながめている感じがします。
ですが、大気の色まで映しとろうとしているモネの絵は、そのリアルさというよりその存在感で、私たちをその場に連れて行ってくれるような気がします。
とても、私はモネのようには見られないし表現はできません。
そこは圧倒的に違います。
ですが、モネの絵は、まるでモネの眼差しを眼鏡にするようにして、その風景がながめられる気がします。
また、もうひとつ、眼差しは違うけれど同じで面白いと思ったのは、この絵です。
「ジヴェルニーの洪水」という絵で、水にひたった木立が描かれています。
上半分が木、下半分は水に映ったその影。
私たちは普通にそう「見る」と思います。
ですが、どこをどう見てそう判断しているのでしょうか。
これまでの経験上、水に映る木立を見たことがあるから?
「ジヴェルニーの洪水」というタイトルから、そういう絵だという前提で見ているから?
こんなふうに、モネが表現しているものを、私たちがスムーズに受け取れているのはなぜだろう?
そう考えはじめると、すべての絵について、そう見えることが不思議になってきました。
しばらくこの絵の前で「なぜ」を考えてみましたが、どこがどう、と説明できる答えは今日は得られませんでした。
以前レポしたこの本で、観察力をさらに磨き、会期中にもう一度、自分の答えを探しに行こうと思います。
2.原田マハ「ジヴェルニーの食卓」を読んでから行くと味わい深い
先日荒井博行さんのVoicyで、原田マハさんのモネについての短編「ジヴェルニーの食卓」を読んでからモネを見に行く、という素敵なプランを教えていただき、今回実践しました。
すごく、良かったです。
モネにとって、最初の妻のカミーユと最後の妻のアリス、そして子供たちがどういう存在だったか。
そのひとつの形を小説を通しては肌感としてもっていけたので、モネの絵に残る彼女たちを見て、「会えたね」という気持ちになれました。
この「黄昏時の流水」も、深く味わうことができました。
もしあまりモネの家族について詳しくないかたで、そういう見方も面白そう!と思われたら、この短編集はおすすめです。
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