見出し画像

美味しんぼ13巻『柔らかい酢』への疑問 ~合成酢でサバ寿司を作ってはダメなのか~

美味しんぼ13巻の『柔らかい酢』で、こんな話が取り上げられた。

合成酢で作ったサバ寿司は危険!

サバ寿司を合成酢で作ったら食中毒を起こした、だから鹿児島に本物の酢を捜しに行ったとうい話なのだが、これは本当なのだろうか。

そもそも、サバが当たりやすいと言われるのはなぜか。「鯖の生き腐れ」については作中でも言及されている。

じんましんと青魚の関係(神奈川県衛生研究所)

>ヒスタミンが多量に蓄積されたサバなどの青魚を食べると、食後 30分から数時間後に顔面紅潮、発疹、吐き気などの症状を呈することがあります。

>サバ、ブリ、アジなど回遊魚やマグロ、カツオなどの赤身魚には「ヒスチジン」というアミノ酸が多量に含まれています。「ヒスチジン」が多量に含まれる魚に「ヒスタミン生成菌(ヒスチジン脱炭酸酵素を有する菌)」が付着すると、ヒスチジンが分解され、多量の「ヒスタミン」が魚肉中に蓄積される

すなわちサバに当たるのは、ヒスチジンがヒスタミンに変わるからいう理由である。

ヒスチジンをヒスタミンに変化させない方法として、まずはヒスチジン自体を増やさないやり方がある。

奈良女子大の研究によると上記の通りとなる。

続いて、ヒスタミン生成菌自体を殺菌する方法。

鮮魚の保存に及ぼす酢洗いの効果(1974

酢で洗うことでヒスタミン生成菌数が減少し、なおかつ増殖を防ぐこともできるという。この実験では「洗いには,酢酸酸度4.2%(w/v)の醸造酢に食塩を5% (w/v)溶解した食酢溶液を用い」となっているが、これは後に重要な要素となる。

締めサバにすることで中毒を防ぐのは、こうした根拠に基づく。

さて、ここで合成酢の話である。

美味しんぼの作中では「合成酢を使うときちんと殺菌されない」と言及している。その理由は浸透力によるものだと書いてある。

そもそも合成酢は材料の中にしみこむ力が弱いというのは本当なのか。

美味しんぼの作者、雁屋哲氏が味噌や醤油、酢、牛乳、そして味の素などの話を取り上げる際の種本として使われるのは、郡司篤孝氏が書いた著作だと推測される。

美味しんぼを読んだ人間であれば、郡司氏の著作に「ああ、あの話の元ネタはこれか」と納得できると思う。

その中に、合成酢と材料への浸透力に関する記述が存在した。

郡司篤孝 1968『増補うそつき食品』P144~145

「合成酢で酢づけをつくっても、外側が殺菌されるだけで、中身には及ばない(※中略)(醸造酢は)殺菌力と浸透性が強いからである」

なるほど、合成酢でサバを締めたら大変なことになってしまう。アレルギーが発生して食中毒を起こしてしまうではないか……

そんなわけがない。

石川県にあるヤマチ醤油では、合成酢を生産している。しかもその酢を使ってサバ寿司を作っていると明記しているのだ。

もし合成酢を使って魚を締めたら中毒するのが本当であれば、サイトに掲載している上記の記事は大変なことを書いていることになる。

結論を言おう。

サバを締めるのは、合成酢でも醸造酢でも構わない。

では、合成酢で魚を締めても良い理由を挙げていこう。

細胞の中は、細胞膜に存在するイオンチャネルであるNa+/H+交換輸送体、NHE、によって、通常は中性に保たれているという。外部が酸性になれば酸性に傾き、アルカリ性ならアルカリに傾くというものではない。

細胞内に何かがしみ込むというのは、塩分によるものである。

輸液の基礎知識(大塚製薬)より

すなわち外部の塩分濃度が高ければ細胞から水が外に出ていく、外部の塩分濃度が薄ければ細胞内に水が入っていく、という話である。

醸造酢の方が合成酢よりも浸透力が高くなるためには、浸透圧の原理に基づき「醸造酢の塩分濃度は合成酢よりも低い」ことが必要になる。

合成酢は酢酸そのものだと味が強すぎるため、食塩や砂糖、調味料などで味を調整している。

それに対して醸造酢では、原料は穀物や果実、そしてアルコールであり、食塩などは添加されていない。

早い話が、合成酢の浸透力が弱いというのは

食塩が入っているために塩分濃度が高く、細胞内に浸透しないから

これだけの理由なのである。別に合成だからダメなのではない。

前述した郡司氏の書籍では、なぜ浸透力が弱いかについては言及されていない。おそらく伝聞や過去の経験からそう書いたのだろうが、醸造酢に塩分が添加されていない前提であれば、あながち間違いではなかろう。

だが、醸造酢なら塩分が入っていないとは言えない。

たとえば大手メーカーのミツカンが出している調味酢の原材料は下記の通りである。醸造酢ではなく調味酢であることに注意が必要となる。

終戦後の日本では米を使った酢の醸造が禁止され、石油化学的に合成した酢しか生産できない時期があった。その影響もあり、戦後しばらくは合成酢のシェアが圧倒的に高かった。

郡司篤孝 1968『危険な食品』より

そんな中、ミツカンは昭和43年に「100%天然醸造酢宣言」を行なっている。そこから消費者運動が大きくなり、数年後には醸造酢と合成酢をきちんと表記するように法改正されたほどである。

なのでミツカン酢は醸造酢であり、混ぜものは入っていない。

だがすし酢や飲用酢など、醸造酢に手を加えることで消費者がより使いやすい製品を作っていることも事実である。そうした製品には塩分や糖類、果汁などが含まれる。

細胞内への浸透が塩分濃度によるものだとすれば、当然ながら

醸造酢であっても、調味酢なら浸透力は落ちる

この結論に達する。つまり醸造酢ならきちんと細胞内に酢が浸透するから大丈夫、というわけにはいかないのだ。

上記のセリフ、原因は合成酢ではないのである。

さらにいえば、酢で魚を締めた時の殺菌力を確かめる実験において、酢には食塩が混ぜられていた。それでも効果はあった。

食塩が混じっていても殺菌力に差はない。

ということは、浸透力が弱い酢だから殺菌力がないというのは、根拠がない話となってしまう。

合成酢がダメとされたのは浸透力が弱いからと説明したが、その根拠が崩れてしまったことになる。

これは作者が「天然醸造酢の方が合成酢よりも良い」と言いたいあまり、根拠のない話を基にしてしまったからであろう。

また、『柔らかい酢』ではこのようなセリフがあった。

これは明らかにおかしい。

食酢の表示に関する公正競争規約(1970)ではこうなっている。

要するに、酢酸(氷酢酸)を入れたら醸造酢ではない。

非良心的なメーカーは醸造酢に合成酢を混ぜると書いているが、そんなのは論外であり、そもそも不当景品類及び不当表示防止法(昭和37年法律第134号)に違反する。

昭和40年代に大規模な消費者運動が行われ、例えばジュースは果汁100%でなければ「ジュース」と表示できないなど、大幅に基準が改定された。

そうした中で酢メーカーもきちんとした対策を取り、また消費者の意識変化によって

「合成酢は(中略)生産量も少なく家庭用として使われることはほとんどありません」

とまでに変化していった。かつて合成酢は生産量の8割を占めたにもかかわらず、である。現在は1%程度となっているようだ。

今回のまとめとしては下記の通りである。

・酢によってサバを安全に食べることができる

・合成酢と醸造酢で違いはない

・細胞への浸透は塩分量で決まる

・食塩が入っていても殺菌力は落ちない

このことを覚えておけば良いと思われる。

「競馬最強の法則」にて血統理論記事を短期連載しておりました。血統の世界は日々世代を変えてゆくものだけに、常に新しい視点で旧来のやり方にとらわれない発想をお伝えしたいと思います。