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おかげ様?全部あんたのせいだ

「あなたの希死念慮は私が作ったものだね」
地元の母親からこうメッセージが届いた時、私の胸をなにか冷たいものがすうっと落ちていった。
納得の形をしたそれは、実際には嘲笑を交えていて、それでいてどす黒く燃え盛る憎悪を内包していた。
母親は、幼いころ家を出た。理由の詳細は知らないし、どうでもいい。
事実として揺らぐことがないのは、私は小学校に上がる前には戸籍上の母を失い、母親の輪郭というものを掴み損ねる羽目になったということだ。
私に残された母の記憶とは、私を夜の堤防に置き去りにしたことと、保育園に迎えに来なかったこと。もちろん良い記憶も数えればあるけれど、そのマイナスイメージが強く印象に残っている。
私は母というものをよく知らない。
家に帰った私を出迎えるのは猫の役割であり、四季の変わり目に一度会う女性にどれほどの信頼を覚えられたというのか。
無論、母は母だ。そこは揺らぐことなく、私にとってそれは不変である。
だが私は、自らの母の概念が他者のそれと比して正常な観念として成立しているかを知らないし、おそらく成立していない。
私という人間は成長するにつれ、どうにも奇妙な形態へと変化していった。
惚れっぽい気性も、小学五年生で訪れた早熟で壊滅的な反抗期も、すべてがその影響であったことは疑いようがない。愛着障害に至らずとも、さしずめ根元の腐った樹木が斜めに育っていくように、私の人間性は相当な打撃を受けていたわけだ。
私は恋愛関係でその後、長らく苦労した。
大人びた人が好きだった。こちらに興味を向けてくれる人が好ましかった。誰でもよかったなどとは言わないけれど、私自身を個体として認めてくれる人であれば、たまらなく嬉しかった。
母親という絶対的な愛情を失った私は、自己愛がひどく強い人間になった。自分の人生が不可逆的にねじ曲がっていったのは、ひとえにそれが要因だった。
私は自分を愛せなくなった。否、自分だけを絶対の味方とし、認めていた。そのくせ、個で完結しきった自閉的な人生を、誤答であると結論付けた。
在りもしない青春への懐古感情は、中学生の荒れ果てた学校生活も相まって、ますます増長した。高校に上がるころには、自らが物語の中に生まれつくことができなかった悲劇を、滑稽にも嘆き始めた。
私はずっと、郷愁を愛している。理想と、青春の輝きばかりをイデアに据えている。そして、そのイデアに近づこうと、手中に収めることで自身を慰めようと、創作をしている。
「あなたの希死念慮は私が作ったものだね」
心が冷たくなる。
ああ、その通りだよ。私が現実を愛せなくなって、自分の理想を追いかけてばかりの価値観が間違いだと悟って、生きていけないと深夜に吐き気を催すようになったのは、全部あんたのせいだ。
その通りさ。
でも、この感受性の豊かさまで、あんたが作ったものなのか?
私の感性は、あんたが作ってくれたとでも?
ふざけるな。ふざけるなふざけるなふざけるな!
私の息苦しさは、とっくに私のものなんだよ。今更ごめんねって謝られてさ、なにになるんだ?
その謝罪で救われるのは、あんただけだろ。私はもう歪み切って、腐った根っこで幹が折れてしまわないようにギリギリの綱渡りをしてんだよ。
今さら謝られて、私の人生は好転するのか? 
もうここまで来てしまったんだ。私は戻ることも、変わることもできないんだよ。
どこまでも身勝手なんだな。
私はもう、どうすることもできない。
この苦しみを抱えて、その悲劇に酔いしれてるだけだと嘲笑され、美しいもの・ノスタルジーに触れるたび、感性に振り回され、あまりにも理想から乖離した現実を嘆き、死にたいと涙を流すことしかできなくなってしまったというのに。
全部あんたのせいだろ。おかげさまでと言えることなんて一つもない。
あんたは母親をまだ続けようとしている。演じているつもりはないだろう。
でも、あんたが思ってるより、私にとってあんたの重要性は低い。私を構成する要素としては大きいが、私の外側においてはほとんど無価値だ。
だからお願いだよ。
人の恋路に口を出したり、ワクチンの危険性がどうだのとメッセージを送ってくるのをやめてくれ。私はあんたに興味がないんだ。
母親というものを知らない私は、そのメッセージひとつであんたとの関係を断絶したくなるほどの憂鬱を覚えるんだ。
忘れるな。
私はあんたのせいでこうなったんだ。私はあんたを、許してなどいないのだ。

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