見出し画像

nola 出会いから到着まで

滝口悠生さんの、「やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)」を読んでいる。
滝口さんが参加した、異なる文化圏の物書きが数ヶ月を共にするアイオワ大学のプログラム、その滞在記。

滞在1〜2週間を読み進めて印象深いのは、異国での第一言語を手放した者同士の交流が、淡く柔らかで瑞々しくて、著者の心の上の方を絶えずかき混ぜている感じ。うまく説明できないけど、思いがけず色んなことが思い出されて、何度も泣きそうになりながら、大切に読み進めている。

色んなこと、のひとつとして、ニューオリンズでの日々が断片的に思い出されている。同じアメリカだし、わたしの経験の中では、唯一、通過のような束の間の旅、ではなく、暮らすように滞在した土地。
計3回、すべてを合わせても、1ヶ月ほどなのだけど。



アメリカ南部のジャズ発祥の地、ニューオリンズ。わたしは、大学で、ニューオリンズジャズを研究演奏保存?するサークルに入り、その場所と繋がりを持つことになった。


そもそも、入学したのはサークル活動の盛んな大学で、新入生歓迎のお祭り騒ぎは入学式から圧倒的な熱量だった。差し出されるビラを1枚受け取ったが運のつき、人の海を掻き分け、体育館に入るまでに何枚ものビラが手に積み重ねられる。

王道の?テニスサークル(テニサー、と、呼ばれてた。オールラウンド系をかたる飲みサー、というのもあった。)以外にも、運動系各種、演劇、音楽系各種、陶芸、天文、トライアスロン、鳥人間、等々のラインナップ。圧倒されながらも、惹かれて、キャンパスの新歓の渦を歩く。

喧騒の中、ぽっかりと在った静かな木陰、スーザフォンとトランペットが小さく丸く音を重ねていた。その語り合いというか、囁き合いというか、は、穏やかな様子と裏腹にぎゅうと心を掴んだ。友人(同じ高校から、同じ国立大に不合格して、同じ私学にきたわたしたちは、高校時代はさほど近しくなかったが、オーケストラ部でそれぞれヴィオラとコントラバスをやっていた同士でもあった)と足をとめ、ブースで話を聞いてみると、古いジャズをやるサークルらしい。

毎春休みには、有志で現地ニューオリンズへ行き、一軒家を皆で借り、昼はレコード探し、夜はライブをハシゴして音楽(酒)三昧で過ごす、という話は、初めてのニューオリンズ滞在を終えたばかりの2年生の先輩の、口からではなくてまだ纏っている興奮そのものから伝わってくるようだった。わぁ、と、魅了される。

クラリネット急募という立て看板が、背中を押した。オケ部ではヴィオラを弾いていたのだけれど、クラリネットは中学校の時に吹奏楽部で吹いていた。楽器も持っている。

不思議に焦がれた、まだ見ぬニューオリンズに、初めて降り立ったのは、その2年後のこと。



日本からニューオリンズへの直行便はなくて、ヒューストンを経由した。ヒューストンまでの人生初の長時間フライトは、northwest航空の強気なCA(ビーフオアチキン、飲み物にオレンジジュースを頼む、の度に緊張)と隣の座席の男性の体の大きさと体臭(いい人だったんだけど)によって強烈なものとなり、へろへろとたどり着いた(ヒューストンから乗り換えた飛行機には日本人のCAが居て、味噌汁飲んだみたいにホッとして、ようやく少し寝た)ニューオリンズのルイアームストロング空港だったけれど、当然のようにジャズが流れていて、膝蓋腱反射みたいに昂ぶる。着いた!

記憶が朧げだけれど、エアポートシャトルには乗らず、タクシーで滞在先へ。運転はとてもラフで、スピードも凄く出す。映画TAXIみたい。到着の高揚感も相まって、このままクラッシュしてしんじゃうのではなかろうかと思う。しななかったけど。

新歓のブースで先輩に聞いて憧れていた、フレンチクォーター(古く美しい街並みが残る旧市街で、ライブハウスもいくつもある観光の中心地)にある一軒家、だったが、この年はうまく抑えられなくて、代わりにユースホステルのドミトリーに、順に入れ替わりつつ泊まることになった。

ユースホステルはアップタウンにあって、フレンチクォーターへはストリートカー(レトロな路面電車)に乗って出る。目の前が停留所なので便利だろうと思っていたのだけど、待てども待てども来なかったり、来たと思ったら満員で何台も通り過ぎていったりと、Big Easy(The Big Easyはニューオリンズのニックネーム、ニューヨークがThe Big Appleであるように)。日本に帰国後、電車が数分間隔でピタッと到着する奇跡に、思わず口笛を吹きたくなった。

アップタウンは大きな家と木々とが美しい景観の閑静な住宅地。年に一度のお祭り、マルディグラの後なので、木々の高いところに祭りの名残のビーズがぶら下がっていて、熱狂に想いを馳せる(世界三大祭りに数えられるマルディグラでは、高さのある山車が練り歩いて、そこかしこでビーズ飾りを投げ合うそう)。

たぶん、確か、長時間フライトの後ではあったけれど、居ても立っても居られずに、荷物を置いて、そのままフレンチクォーターに出かけたのだったと思う。シックな深緑色のセントチャールズストリートカーに乗って。




暖かく湿った大らかな空気、昼も夜もどこかで鳴る音楽が、明るさだけでなく哀愁も漂わせる街、nola【New Orleans Louisiana】。長くなってしまったので、一区切り。
この先は記憶も不確かなので、時系列に囚われず、印象深かったことを書き留めていけたら。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?