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年を重ね賑やかにゆく

かわいくてかわいくて大好きってなるんだよー。とは!なんてかわいいのか!子どもの操る言葉は、生きた言葉だねぇ。心をしっかり掴んで揺らす。なぁ。

そういう言葉を、忘れずにいたいな、と、揺らされながらいつも思うのだけど、すぐさま書き留めておかないと、気配だけをのこしてそれはどこかへ行ってしまう。言葉が生きているからこそ。やむなしか。

まいちゃんにとっての、四ツ谷のお店、のように、都内には、思いをそっと置いて残したような場所が、ポツポツとあるね。そういう場所に、娘と行くと、交わることのないあの頃と今が、時空がねじれてほんの少し重なるようで、本当に感慨深い。

わたしが大学生の頃に住んでいた部屋と、長女が卒園し、今も次女が通う幼稚園は、実はほど近い。今の自宅からは、自転車をこげば、まあまあ近所、だけれど、ごく近所の徒歩生活圏とはすれすれで円の重ならないような、最寄り駅も路線も違う、そんな距離感。
長女がそこに通い始めてから、生活の中に、あの頃のわたしとの交錯が生まれるようになった。

ある日は、部屋の別棟に住んでいた、大家さんにばったり会う。
ご夫婦ともに、すっと気品が漂う方々なのだが、気さくで、親しくしてくださっていた。朝ゴミを出せば顔を合わせ、賃料は毎月ご自宅にうかがってお支払いしていた。全部で4部屋の、アパートと呼ぶにもこじんまりとした住まい。階段を上ってすぐのわたしの部屋はおソノさんのパン屋の離れのキキの部屋に重なるし、大家さん(奥さま)はニシンのパイのおばあちゃんの雰囲気と重なる。
結婚するまで、住んだ部屋。『ここからお嫁に行く方は初めてだわ』と、喜んでくださった顔も、結婚式に晴れ晴れとして来てくださったあの日も懐かしい。
一度ひどく体調を崩した折、奥さまが心配して病院まで車で送ってくださり、おうどんを作って届けてくれた。すごくいい匂いがしていたのに、麺と丁寧にわけてお鍋で差し入れられたおつゆを、当時の彼氏(今の夫)は残り物と勘違いして、わたしの伏せっている間に、捨てて綺麗に洗ってしまったのだった。はあぁ今思い返しても口惜しい。
などなど。
地方から出てきたハイティーンのあの頃は、無関心が随分と心地よかった大都会。その片隅が、ちゃんと『わたしの場所』になったのは、お二人と、あの部屋のおかげだなぁ。
と、ここまで、自転車を漕ぎながら、束の間。ぐるりと振り返り、しみじみとした心持ちになる。

ある日は、昔通った牛丼屋がラーメン店に変わって、しみじみ。
ある日は、このジム、TSUTAYAだった!と気づき、しみじみ。
ある日は、駅前の開かずの踏切で、働きはじめてからはここを何度も走り抜けたな、、(ごめんなさい)と、しみじみ。
ある日は、少し足を伸ばした更に遠くの駅で、家に財布を忘れて一度しか話したことのない同じ専修のTくんに電車代借りたな、と、しみじみ。
という塩梅。
其処此処に思い出が落ちている。

ふとよぎる、あの頃のわたし、に、ねえねえ、と、肩を叩き、声をかけたくなる。
結婚して部屋を出たあの日から、色々あって、女の子をふたり産み、もう小学生と幼稚園生。
なんだか、随分遠くまで来ちゃったなあ。
まだまだ遠くまで、行くんだなあ。
ひええ。

でも、ふとよぎる、あの頃のわたし、って、10代のわたし、20代のわたし、30代のわたし…と、この先、順調に増え続けてゆくのでないの?
そこには、赤ちゃんの娘たち、園児の娘たち、小学生の、中学生の、というのも付随していくわけだ。
それはなんか、賑やかでいいわねぇ。なんて、思った。

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