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引き出しのお菓子箱

それは、紙製で、緑茶の茶葉のような深い渋い緑色をしていて、ひらくと内側にはルネッサンス絵画のような絵がかいてあったような気がする。手に取る厚みも、重さも、かたさも、ちゃんと覚えているのに、もう何処かに行ってしまった。

中にいれてあったのは、綺麗な貝殻や珊瑚のカケラ。海のない土地に暮らしていたので、どういう経緯でそこにあったのかは、現物のない今、知る由もない。たまに取り出して眺めては、うっとりと心が満ちる、宝物だった。大きな巻貝からは、憧れていた遠い海の波の音が聞こえた。レモンイエローの巻貝と、内側がコーラルピンクからさくら色のグラデーションになっている小さな白い二枚貝がとりわけ好きだった。緑色の大きなぷっくりとしたおはじきも、特別な宝石のようにも見えて、大切にそこにしまってあった。

誰かに見せたことは、なかったように思う。いつも、学習机の上から3番目、クレヨンや色鉛筆の入った引き出しに、収まっていた。たまに取り出しては、眺めた。ささやかに。密やかに。そんな時間がまるっと特別で、宝物だった。両親は、子供に物をたくさん買い与えるタイプの親ではなくて、それがこういうささやかな楽しみを絶妙に演出したのかもしれなかった。結構満ち足りていた。

大人になったわたしが、つい、取り出してしまうのは、昔のこと。色んな形の色んな気持ちが、ふと思いだされては、愛おしい。
貝殻を集め入れた、そんな箱があったなあ、ということも、うちのどこからか貝殻(これは以前に沖縄で拾い集めてきたもの)を見つけ出してきて喜ぶ姉妹を見ていて、思い出したこと。やあやあ懐かしいなぁ、と、その細部をよく思い返したくて、つい記憶の奥の方に潜っていってしまった。

昔の思い出ばかりを愛しんでいるなんて、目の前の今を蔑ろにしているようで、ある種の不健全かもしれないけれど、そう感じながらも、やめられるでもなし、ついつい。

記憶がたゆたう水中に、たまに煌めいたものをたしかめにふと浸り潜る時間は、お菓子箱の中の貝殻を見つめる幼い頃の時間と、繋がっているのだと思う。

ふと思い出した記憶、に潜ってみると、その出来事の捉え方が時を経て変わることはあっても、心に届いた時の感じ(嬉しみや悲しみや戸惑いの質感)は、いつまでも存外変わらなかったりして、それが愛おしい。

あの時のあの感じ、を、言葉にしてしまっておく、大人のわたしのための、『引き出しのお菓子箱』、ここにマガジンとして、作ってみることにした。今、読み返している、高山なおみさんの『押し入れの虫干し』に、小さな頃に感じた独特の質感(あの空気や時間の濃密さ…!)を思い出し、多分に刺激を受けつつ。

あの頃と違うのは、誰かにも見てほしい、と、思っているところか。
かつてのお菓子箱の中身はお菓子ではなく貝殻だったけれど、このマガジンお菓子箱の中身が誰かの一服のお茶請けになれたら嬉しいと思っています。
なるのかな…(弱気)。なってほしい。なってくれ!

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