道徳の評価

中学校では、今年から道徳が「特別な教科 道徳」になり、自治体ごとに教科書を選定し、評価が義務付けられている。

今日は、道徳の評価をした。

これは、あくまでも「特別の教科 道徳」の授業をどのように受けたのか、どのような変容が見られたのかを見取るものだ。だから、他の教科のように数字で評定を出さず、文章で所見として書く。テストなどをするものでもないので、授業で使ったワークシートを一人一人点検していく。そして、目ぼしいものがあればその時の授業で使った資料名や活動を拾い出し、生徒の変容を記述する。学級担任はクラス全員分を評価する。

それくらい、道徳を変えるということが文科省にとって大切なのだ。

教科化にはいくつかの理由がある。教科化する前の道徳は自治体や学校によってかなりばらつきがあり、毎時間授業をやるところもあれば、ほとんどやらないところもあったらしい。いちばん大きな原因が教科書がなかったことだ。つまり、教科書にのっとって授業をするのではなく、授業をするたびに資料を探すことが求められるのだ。それが面倒なので多くの学校では副教材として、道徳の資料を購入してきたが、それがないところもあるということだ(近年は、文科省から資料が配布されたが)。

また、「道徳的価値観」について心情を理解したり、判断力を養ったりするなどというちょっと建前すぎる目標がさらにハードルを高めている。多くの人にとって、感動させられる退屈な資料を読んで「教師の求めている答え」を言う授業のイメージがあるだろう。子供も好きになれないので、行事の練習やクラスの時間にあてられていったのだ。

教科書用意したし、評価を義務付けたんだから授業ちゃんとやってよね。これが、文科省の言い分なのだろう。

じゃあ、実際のところはどうかと言うと、わたしのいる自治体では当たり前に副教材を買ってきたし、授業もほとんどやってきた。だから、評価だけが変わった点だ。これもまぁ、生徒の様子を文章にするだけなので、時間と手間が掛かるが嫌な仕事ではない。

わたしの考えとしては、道徳の授業が嫌いではない。正解を求めずに様々なことについて議論するのは大切なことだと思う。授業の質を高めていきたいと考えてきた。しかし、ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読んでイギリスのシチズンシップ教育の進みっぷりにショックを受けた。文科省が設定した発達段階に応じて学ぶべき「道徳的価値」を否定はしないけど、「みんなで考えよう」という生ぬるさでは収まりきらない学ぶべきものがあるのだと強く感じた。この焦りこそ大事にしていきたい。

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