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ヴィパッサナーDay8,9の記録

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次の日の朝を迎えると、また日の出が見たくなり外に出れば真っ赤に色づいていた。気温なのか湿気なのか何が要因で毎日違う空の色になるのかあまりわかっていないがどんな色であれ美しかった。前日は紫がかった空だったと記憶する。

そしてまた瞑想の1日が始まるとまた洪水のようにイメージが私の頭にふって出てきた。この観察瞑想を続けるうちにより平穏で平静で客観的にみる習慣がついてゆき、その湧いて出てくるイメージも必然とその私の心の状態に影響を受け始めていることも確認し始めてきた。
平和をモチーフにしたような絵が出てくるようになってきた。曼荼羅のような幾何学的な模様や、蓮や向日葵や薔薇など、開いて美しく見える植物など、綺麗で優しい絵が生まれては消えてを繰り返した。時には深海の様子。その中に海藻がゆらめき、なぜかてんとう虫が泳いでその先の太陽が照る方向へと向かっている構図など、現実的、非現実的な表現が現れては消えてを繰り返した。
海面下で座る仏の像、色々な柔らかい色が混ざり合い虹色で色々な風景やものなどを表現した絵などが浮かんだりもした。
そして段々とその絵の傾向が絞られてきた。

青と緑で多くを覆われ、そこで白と黄色のぼかしが角の方で現れ、スポット的に赤がぽつっとある構図である。
その青い部分も深く暗くなり、紫がかった色へと移り、やはり深海のような宇宙にいるような絵になっていく。
そしてその絵のスタイルは写実や、ファインアートのような他にも抽象画のような表現方法から、段々と日本のアニメでよく見かけるようなベタ塗りの色で構成され,
綺麗な線で形取られたキャラクターや背景画、そして三次元の空間を感じさせる遠近法も多く取り入れられた表現へと移り変わっていくこととなっていった。
そして動きのある表現も現れ、それは太い光の筋のようであり、雷のようであり、しろや黄色や赤や青や緑など、それもよくアニメでよくみる表現方法であった。

このような光の筋

そしてふと私の気持ちへと振り返り、どんな絵が一番私を喜ばせるだろうかと観察してみると、ある、カナダ人の彫師のイラストが頭に浮かんだ。


Steve Moore 

他にも油絵的な質感がうまく出てる抽象画を描くアメリカの彫師

Nick Baxter

そして、私が沖縄に移住しはじめ、彫師になりたいと決め、色々な情報を集めているときにあるマガジンで見つけたアメリカの彫師の作品に感銘を受けて、こんな表現ができるようになりたいとずっと思い続けていたことも湧き出させた。


Guy Aitchison

そして私の絵描きとしての欲求と、それが実現させていないことへの挫折感から生まれる苦悩も少しずつ和らいできた。なぜなら方向性とその欲求を満たしていくまでの道のりも霧が晴れたように明確になってきたからである。表現すべき媒体はなんでもいいこともわかった。肌であれ、キャンバスであれ、紙であれデジタルであれ、最終的には私の意識の中であれその浮かんだ絵を詳細に表現することができればそれでだいぶ満足感は得られるということである。

簡単な気づき事のようだが、この安堵感は多分私が小学生の頃か、それより少しくらい前から少しづつ積み上げられてきた絵を描くことへの執着心や失望感、苛立ちなどの苦悩が初めて和らいできている歴史的な瞬間でもあるのである。

今、ここで執筆していて思い出したが、Day2かDay3の瞑想時でもこの絵を描いてきた暮らしの中で関わってきた人々からの反応で苦しんできたことを思い出していた。

時間軸はバラバラだが:

  • 絵では食っていけないと両親から鼻で笑われ、それでも真剣に続けていくと心配がられ続けていたこと

  • 成人してから一時期両親と共に過ごしていた時に、T-シャツに絵を描いているときに母がチラッとその様子を見にきて私が聞こえるように笑い去っていったこと

  • 大阪の絵が上手い彫師に背中一面サイズの絵を描いたのちに見せに行ったら、色々とダメ出しをされて苛立ちを隠せなかったこと

  • フランスで彫師として仕事場を探していた頃、どこにも受け入れられず悔しく毎日時間があれば自分の作品のポートフォリオとして紙に絵を書き続け、ある日京都に店おもつ日本人の彫師がパリでゲストワークをしている時に会いにゆき私の絵を見せた時に、「アメリカ人が書くような和風の絵を描くね。」と言われた時に、私は自分のしたいことをしていないと気づくと同時に無性に腹を立てた。多分彼にではなく私自身に腹を立てていたのだろう。

他にも細かく絵に関わる苦悩を多く経験してきたが、大きくまとめると、自分の中での期待感と、現実でそれが起こらないことへの失望感の差が苦悩になるのだというのも瞑想で明らかになってきた。
それはゴエンカ氏がよく瞑想中の録音でいっているように切望と嫌悪が苦しみの根本原因であるということが頭ではなく体感としてわかるようになっってきた。

自分が楽しいと思うことをして何が悪いのか、普通に過ごしていればずっとそう思い続けていただろう。何かや誰かを嫌悪感を持って接し続けていれば自分も苦しむことは容易にわかるが、切望や願望、夢を見てそれを達成したいがために行動し続けることでそこから期待感を膨れさせ続けると、必ずドカンと打ちのめされることがあるのだから何とも人生とはトリッキーなものである。

そして私の意識が精神とも肉体ともに少しづつ距離を置くことになり、それによって何事に対してもの執着心を引き離していく過程なのだと知り、このヴィパッサナー瞑想もその距離を置く技を身につける修行なのだと私なりに理解し始めてきた。

そしてお昼時間となり、食事を終えた後、普段はお昼寝をするのだが、今回は身体中にエネルギーが通ってる感じもするし迷走してる感覚を継続したいと思い自分のベッドの上に足を伸ばして座り、毛布を膝上にかけ、快適な状態で次の瞑想タイムまで自分で瞑想することにした。すると、
なんとも言えない下から湧き上がってくるような泡のような温かい雲のようなふわふわしたものが私の体を包み込むようにして上昇していく感覚を味わった。これは今までにないなんとも言えない不思議で気持ちい経験だった。

そして、また書き忘れていたことを思い出した。たしたDay5かDay6の時期に、録音に従って瞑想するなら客観的に、平静でいながら愛と慈悲や慈しみの心で感覚を観察し続けていくのだが、ゴエンカ氏は英語で説明するし、chantを唱えるときはパーリー語やし、違う言語によって色々と効果も変わってくるんじゃないかと思い、サンスクリット語で平静、平和といった言葉はShantiと唱えるので、心の中で

Shanti〜Shanti〜

と唱えながら客観的に感覚を観察してみることにした。すると青白いバブルというか泡が無数に私の身体中を下から上へと湧き上がって満たしつくす不思議な感覚にも襲われた。ある一定の期間が過ぎるとその後その言葉を唱えても同じようには起こらなかったが、かなりパワフルな感覚であった。

何かゲームで召喚獣を呼び出して、いっときだけ何かパフォーマンスをして去っていったかのようだった。

なのでその後にDay8かDay9あたりではっきり意味も感覚として身近である日本語で心の中で唱えながら客観的に感覚を観察してみることにした。
多分、それまでの集中してきた敬意と、この瞑想法で身体中の表面での詰まっているところは大方取り除き、感覚がスムーズにどの場所でも流れるようになってきたおかげもあるだろうが、平穏、平和、平静と唱えながら観察すると、突然、静かな小さな波紋ひとつない真っ平な水と水平線が暗い瞑った目の中に現れ、その水平線の上にうっすらと若いアニメ風の女性が現れ、何か静かな音も聞こえたような気がするが、一滴の水滴をその水面に落とす映像が現れた。
それが何を意味するのかはあんまり大事ではなかったが、とにかくその臨場感がすごかった。とんでもなく大きなシアターのような場所で、私の意識も自分の体からだいぶ離れた感覚で、その水面とアニメの女性が存在感を示していたからである。

そして瞑想が進むにつれ、録音のガイダンスも新しい技を提供する説明に入った。
もしも全身がスムーズに自由な感じで流れるように感覚を観察できるようになったならば、表面の観察を続けながらも、今度は針のように尖った精神をイメージして感覚が感じにくいところや、背骨などを突き刺すように観察してみてくださいとのことだった。
試しに何度か感覚の感じにくいところにしてみると体の内側で何か反応している感じがしたがそんなに大きな変化はなく、背骨をしたから一個ずつ突き刺すイメージをしてみると、空気がお腹の下の方から湧き上がり、ゲップのように口から出てきたりもした。

そして瞑想を続けていると、予想だにせず急に背中の肩周りの筋肉が緩み、ガクンと動いてしまうことが何度かあった。それと同時に例の光のフラッシュが身の中でピカッとする時もあり、それが起こってから対応を即座にしなければ倒れてしまうほどのインパクトであった。 まあ体が緩み、慢性的な腰痛もだいぶ和らいできたからありがたいことに越したことはないが、その変化が自分の理解を超えているので説明できないのが少し口惜しい。

そして私の意識も心も体もエネルギーもどんな状態でも瞑想状態に入っている感覚になってきた。よくいう禅の状態なのかもしれない。
そして次の日となるとこのセンターでの沈黙は破られるので、最後までこの感覚を保てるよう夜になり寝る時間になってもベッドに座り、瞑想を寝るギリギリまで続けることにした。

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