気にしすぎかもしれないけど自分が猟師なのかと言われるとちょっとしっくり来なくて「山経」と名乗りたい件。
「職業は?」という問いに対して「猟師です」って答えた方がいいんだろうなと思って、そう答えるんだけど正直言うと違和感がある。
“食べるための猟”とか“コール猟”が大好きだから、猟はする。でも、じゃあ猟師じゃん!ってことにはならない。
なんてったって、職業という為に必要なお金を稼ぐために必要な猟"有害駆除"はしていないんだから!(駆除もやってみるために絶賛申請中)
猟はするけど猟でお金を稼げてないのに私は猟師と言えるのだろうか。そもそも私は鹿を殺してお金にすることが目的ではないし、たくさん獲りたいという欲もない。
自分が食べる分だけ、食べたい人がいる分だけ獲れればそれで十分だ。捌いて、精肉して、という工程を丁寧に行いたい。でも、現代のルールに乗っ取った職業としての猟師というのは、数を獲る猟師がスーパースターのように思える。
なんだかずっと違和感があった。なんか違うんだよなーって。そこで私の出した今の答えは、生活の一部として山に入りたいのかなって。食料がなくなったらおいしい鹿を獲りにいきたい。獲れなくても昨日より今日、山と仲良くなれればいい。山菜とったり、鳥を見つけたり、川のせせらぎを聞いたり、きのことったり、最悪、鹿がとれなくなって猟は楽しい。
そのくらいの感覚だから腕が悪いのかもしれない。猟期になれば月1.2頭獲れればわりと満足してしまう。言い換えると月1.2頭しか獲れない。
分かりやすいかわかりにくいかは知らんけど、「お金をもらえるからこの人と付き合ってます」じゃなくて「お金をもらえなくても構いません。どうしてもこの人と一緒に過ごしたいんです」みたいな。w
こんな私は猟師なのだろうか。狩猟免許はあるし、猟師というとわかりやすいから猟師というけど、心の奥はあんまり猟師じゃない気がしている。鹿女の方がしっくりきてる。
で、猟師って他の言い方ないのかなぁって調べてたら「山立(やまだち)」って言葉があった。狩人という意味の他、でも、山賊という意味もあるみたいだった。ちょっと違うんだよなぁ。
山に立つって書くのも、狩人ってところも好きだけど、山賊ねぇ。山で時間の経過を楽しむのが好きなんだよなぁ。
あ、、「山経(やまだち)」!
って閃きました。
心の中では私は山経です。でも、わかりづらいしここまで説明するのは大変だから、結局猟師って名乗っちゃうんだよね。「山経」と名乗る日に向けて今日も明日も鹿を食べたり捌いたり。
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