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学びへの支払い

リスキリングなんて言葉をよく耳にするようになりました。

大人の学び直しってところろでしょうか。

これに関しては大人=学ばないというような概念が入っているように感じて違和感があります。 人は英知を求め続ける生き物だと内から感じているのでそのスピードや費やす時間が遅くなったり、減っている状態になりがちなのが大人なのかなと思うのです。

さて、私自身もここ数年においては多くの資格を取得したほか、知らない世界へ飛び込むなど、積極的に英知を求めて活動しているのですが、ここに思わぬ障害が発生しました。

前述しているスピードと時間については、(主に時間は)個人の努力で何とでもなるものです。 仕事を早く切り上げるようにしたり、休みの時間を勉強に費やしたり、家族との時間を利用したりなど。。。

しかし、その生涯は「お金」でした。

学びを深めていくほど、スピードを上げていきたいと思うほどには、その質が問われてきます。 本を買い、自ら学ぶことで得ることや、低価格な学びのコンテンツをピックアップすることにはさほどの障壁は感じないのですが、いざ大学の講義を受けることや、著名な先生の講義を受ける、一定の修了が認められるワークショップなどに参加するとなると、年収400万程度(日本の平均年収?)の収入ではとても払えないものまで出てきました。

行政の援助対象のものも多く存在します。 キャリコンとかは70%くらいは返ってくるらしいですが、10万程度の支払いは発生します。

コーチング系の資格ですと、安くて15万程度、段階を踏んで最上位まで行くと総額で200万を超えるようなものもあります。

他にも、大学の講義においては2年で400万ほどかかるところもあるなど、お金の障壁が大きく立ちはだかりました。

Courseraなどは無償でも見られるものがありますが、英語の講義が多いですし、日本においては言語の壁で浸透していない(修了しても自己満で終わる)ものが多い印象です。

日本の学びは、「修了」というものをお金をかけて得ないと、その価値を掲げる権利が得られません。

多くの大学は少子化に伴い、生徒の確保に躍起です。 そしてリスキリングの流行によってさまざまなコンテンツで社会人からお金を取ろうと必死に見えます。

学びの伝播が経済活動の手段になっているのが現状かもしれません。

無料・無償で学びを得ることはあまり好ましくないと思っているのですが、一方でその学びに対する対価がいかほどが適切なのかというのは悩ましい問題。

学びは自発的であり、自然発生的なもの、その伝播も=(イコール)経済活動にはならないものと思っていましたが、これの理想的な着地点はあるのでしょうか。

この問いには、「学び」と「日本の文化」のネガティブなチェーンで結ばれた様子が浮かび上がってきたように思います。

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