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阿羅健一著「南京事件ー日本人48人の証言」英訳しました。 YouTubeチャンネル C…

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阿羅健一著「南京事件ー日本人48人の証言」英訳しました。 YouTubeチャンネル Cinema Japan Retrospective ホームページ https://grohn.web.fc2.com/ https://www.mayagrohn.com/index.html

マガジン

  • Cinema Japan Retrospective

    1930年代40年代の邦画に英語のサブタイトルやナレーションをつけて紹介しています。

最近の記事

大日向村 1940

監督 豊田四郎 大日向村の満州移住という歴史的事実を見事にドラマ化した映画。 ここには時代を知る手がかりとなるちょっとしたエピソードがさりげなくちりばめられている。たとえば、後半に出てくるが、日露戦争で倅を亡くした老婆の満州への思い。昭和の初期、日露戦争は当時においてはまだ人々の心の中で生きていたのである。この映画から時代を読み取ってほしい。 1938年7月8日、第一陣170名 東宝映画株式会社 東京発声映画製作所作品 朝日新聞社出版 前進座一党総出演 製作 重宗和伸

    • 嵐に咲く花 1940

      これは1935年改造社から出版された明治建設「エル・ドラドおけい」の物語を土台にした映画である。原作者は木村毅(きむら き)1894-1979。 「沼津兵学校」は徳川武士たちの移住がテーマとなっているが、こちらは徳川家の武士以上に行き場のなくなった会津の人々。 物語は会津二本松の郷士、増水家の数奇な運命をたどる。長男正一郎は京都、大阪をまわっているうちに時代の変化をとらえていくのだが、会津藩はかたくなに徳川への忠誠に燃えている。このままで賊軍になってしまうと正一郎は村に戻り

      • 沼津兵学校 1939

        兵学校というから昭和の時代のものかと思っていたらこれが幕末の話。偶然だがこのチャンネルCinema Japan Retrospectiveで幕末ものが続いた。「狼煙火が上海に揚る」(22)、「嵐に咲く花」(24)。続けてみてもらえれば理解しやすいのではないかと思ったが、こういう地味な映画はよほどの日本通のおたくでなければ手が出ないかもしれない。 沼津兵学校の成り立ちを見るとこれが実に混乱した時期にあたっているのがわかる。新政府軍の官軍と、賊軍とされてしまった旧政府軍。この学

        • いわゆる南京事件の時代背景

          ChatGPT 世界の紛争 1937年 なぜ日本において戦後まで大国の租界があったのか。 その事実と照らしあわせ、当時のアジア諸国の情勢がどうだったのか、ChatGPtに聞いてみた Maya 1937年に起こった世界の紛争の事例を教えてください。 ChatGPT 1937年には世界的な紛争が複数起こっていましたが、その中でも最も有名なのは以下の2つです。 日中戦争(1937年7月7日〜1945年8月15日) 1937年7月7日、日本軍は中国北部の盧溝橋で中国軍と衝突し、

        大日向村 1940

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        • Cinema Japan Retrospective
          6本

        記事

          吾輩は猫である 1936

          Cinema Japan Retrospective by Maya Grohn 吾輩は猫である 1936 有名な夏目漱石の原作「吾輩は猫である」を土台にした映画である。 この映画は1936年の作であるが、原作における猫の年は征露2年、すなわち日露戦争(1904-5年)の2年後と推定されているのに対し、映画では第一次世界大戦(1914-1918年)前後に設定されている。これはおそらく監督のアイデアによるものだろう。ストーリー展開としては良いアイデアだったと思うが、最初少し

          吾輩は猫である 1936

          假面の舞踏 1943

          Cinema Japan Retrospective by Maya Grohn 監督 佐々木啓祐 脚本 野田高悟 映画内で触れられている安政条約というのは、安政五か国条約のことであり、江戸幕府が安政5年 (1858) にアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスの五か国とそれぞれ結んだ不平等条約の総称である( Ansei Five-Power Treaties )。不平等とは、すなわち、領事裁判権の規定、関税自主権の欠如、片務的最恵国待遇(日露修好通商条約のみは双務

          假面の舞踏 1943

          京洛の舞 1942 野村浩将 監督

          Cinema Japan Retrospective by Maya Grohn 物語は、文久三年五月二十日(1863年7月5日)、尊王攘夷を唱える過激派の公家として知られた姉小路公知(右近衛少将)が、禁裏朔平門外の猿が辻で暗殺された事件を土台にしている(朔平門外の変、もしくは猿が辻の変)。現場には犯人のものと思われる刀が残されていたという。 京洛とは京の都(洛は唐の洛陽)。古来、日本では奈良時代を別にすれば明治天皇が江戸に遷都する以前は都といえば京であり、この映画に見ら

          京洛の舞 1942 野村浩将 監督

          Cinema Japan Retrospective

          はじめに 阿羅健一著 「南京事件 日本人48人の証言」 私はこのYouTubeのCinema Japan Retrospectiveのチャンネルを立ち上げる前に阿羅健一氏によって編纂された「南京事件 - 日本人48人の証言」を英訳した。これは南京城が陥落した1937年12月13日当日およびその前後の期間に現場にいた人々の証言集である。 The Nanjing Incident: Japanese Eyewitness Accounts -Testimony from 4

          Cinema Japan Retrospective

          A new counter-evidence on “Nanking Massacre" found!

          Sankei Shimbun Newspaper, August 10, 1985 A new counter-evidence on “Nanking Massacre" found! It was said that, during the period between December 1937 and January 1938, a charitable organization called "Chongshantang (崇善堂)," reportedly b

          A new counter-evidence on “Nanking Massacre" found!

          Cinema Japan Retrospective

          1.Oboroyo-no-Onna 朧夜の女 1936 2.Katei Nikki 家庭日記 1938 3.Genroku Chushingura 元禄忠臣蔵 1941 (Narration) 4.Niji-tatsu-Oka虹立つ丘 1938 5.Shin-Josei-Mondo 新女性問答 1939 6.Akanishi Kakita 赤西蠣太 1936 7.Kibo-no Aozora 希望の青空 1942 8.Akai-te-no-Musumetachi 赤い手の

          Cinema Japan Retrospective

          A Roadside Stone 1938

          https://youtu.be/87_au2fPy6U <Script> A Roadside Stone 1938 directed by Tasaka Tomotaka A boy is running down the morning street with his school bag slung over his shoulder. All the children attending elementary school are meeting in f

          A Roadside Stone 1938

          胡桃沢耕史 「黒パン俘虜記」 書評

           私は阿羅健一氏の「南京事件 日本人48人の証言」に続き、この「黒パン俘虜記」も精読いたしました。つまり英訳したのです。  戦後シベリアに送られた日本人は約60万人。そのうち2万人はモンゴルに送られました。その数奇な記録です。本書は翻訳の前にかなりの期間を隔てて3度ほど読んでおりましたが、読むたびに胸をうたれました。翻訳の速度で読み直してみるとその感動はさらに生々しく迫ってきます。  私は作者の経歴などというものにはあまり興味をそそられないほうなのですが、今回は翻訳に携わ

          胡桃沢耕史 「黒パン俘虜記」 書評

          The last notes by Noda Tsuyoshi (major) and Mukai Toshiaki (major), who were accused for the contest to kill 100 people using a sword in the battle of Nanjing

          ---------------------------------------------- Noda Tsuyoshi (1912-1948) Major ---------------------------------------------- I declare to the Japanese people; I am Noda Tsuyoshi, written on the newspaper that, who competed with Mukai Tosh

          The last notes by Noda Tsuyoshi (major) and Mukai Toshiaki (major), who were accused for the contest to kill 100 people using a sword in the battle of Nanjing

          War Damage in the Nanking area Dec.1937 to Mar. 1938

          スマイス報告

          War Damage in the Nanking area Dec.1937 to Mar. 1938

          阿羅健一著「南京事件 日本人48人の証言」英語版

          聞き書き「南京事件ー日本人48人の証言」の英語訳がアマゾンで出版されました。電子版はキンドルで。日本の方はもちろん日本語の文庫版書籍と電子版がありますのでそちらをどうぞ。 https://www.amazon.co.jp/Nanjing-Incident-Japanese-Eyewitness-Testimony/dp/4867280224/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1

          阿羅健一著「南京事件 日本人48人の証言」英語版