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雨でも傘をささず~人と違うってこと~

雨の時には小雨でも必ず傘をさすって、日本人くらいじゃないだろうか。

と言い訳のように思っている。

だって、結構、傘をささない人が多い印象がある。あちこちの国で。

私はただ傘をさすのが面倒くさい。大事なものをもっていかなくちゃいけない時とか、パフォーマンスとして傘をさしているだけだったりもする。

子供を連れているときには子供を守るために傘はさす。一応、風邪をひいてしまうかもしれないとまだ思っているから。

いつもじゃないけれど、ほとんどの場合、身一つだったならばぬれても別に平気だったりする。

この前は仕方ないシチュエーションで雨に打たれてずぶぬれ。もちろん気を付けていたよ。でも、そのあと着替えもなく、暑いから車でクーラーつけて、目的地についたときくしゃみを連発。

今のご時世、くしゃみはご法度。

冷たい目で見られる。

でもさあ、しょうがないときもあるよね。

全く。くしゃみ一つしても、「ケアできてない、だらしがない人」っていう感じになっちゃうのは勘弁してくれよ。風邪をひく権利もなくなっちゃったのかい。と思ったりもしたわけですけどね。

雨をさ。画面上でみたりする人が多いよね。テレビとか、YOUTUBEとかで。

実際に、傘をさしていて雨にも濡れるし、雨ってどういう感じかもちろんしってるよ、っていうだろうけどね。

雨を本気で体感するっていうのは結構ダイナミックな体験なんだよね。

土砂降りの雨のとき、洋服きたままで、ただ雨に打たれる。

本当は庭の芝生の上でごろんと横たわって受けてみたいけど、ちょっと近所のおばあちゃんたちが心配するからやらないだけで、

たったまま、ただ雨をうける。

裸足で。

雨に打たれて、雨と一体になる。

こんな瞬間。すごいぜ。

本当は、これが地球の真実で、私の真実ってこと。

社会とかお金とか人間関係とかっていうのは幻想で、

これが生の私。生の命ってこと。

ずれがちになったら、それもいいよ。

すぐにお風呂に入ってね。熱いお湯でね。

だって、それも恵みで、結構心にじんわりくるから。


ヒマラヤではね、モンスーンの時にはね、雨が毎日降り注ぐ。

それでさ、夜、目を閉じていると、

ズズーンッ・・・・・

ドーンッ・・・・

と大きな音が鳴り響くんだってさ。山のあちこちで、土砂崩れが起きていて、それが谷底まで落ちていく。それからまた雨の降る音が続いて、何事もなかったかのように眠りに落ちる。

雨がふえてくると、川幅が広くなって激流となり、行き来も命がけになってくる。

雨は雨。

雨の毎日を過ごしているようで、私たちは雨を過ごしているのかな。



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